近況報告:空き家問題取材→実践の日々へ

こんにちは! 今日は、私の近況を書きたいと思います。

 

私は2014年から、豊島区のシェアハウス「りべるたん」の撮影を始め、今年の4月に撮影を終えました。

 

昨年訪問したインドの映像、そしてりべるたん映像の編集作業に専念すべく、アルバイトの長期休暇を頂き、現在は某田舎町にいます。

 

縁もゆかりもない土地ですが、知り合いの空き家があるのでここに来ました。今は、そこで引きこもって編集作業をしています。ゴールデンウィークに引っ越してきたので、暮らし始めて2ヵ月半というところ。

 

公共住宅の問題を取り上げた『さようならUR』、そして全国に増える空き家問題と絡めた『乙女ハウス』など、これまでに住まいに関わる映画を多く作ってきたほうだと思います

 

それは、私自身が住まいの問題を抱えているという事情がとても大きいです。自主制作のドキュメンタリーという、”稼げないけれど、時間とお金はすごくかかる”世界にいるため、わずかな・不安定な収入の中から家賃を捻出するのは至難の業。

 

周りの自主制作の監督たちは、映画とは関係ないアルバイトをして制作費用を稼いだり、生活費を稼ぐための仕事だけで日々忙殺されてしまって、せっかく完成させた映画もほとんど上映せずお蔵入り・・・という人が少なくありません。

 

それはもったいないことだと思うので、私自身は今まで、主に”居候生活”をして、映画作りを続けてきました。

 

「空き家で困っているオーナーが、住まいに困っているフリーターの人に家を貸す」、「固定資産税の分を家賃として払う」という、乙女ハウスの仕組みを聞いたときに、(これだ!!)と強く思ったのでした。

 

でもその後、条件の合う空き家話がなかったこともあり、私は相変わらず居候を続けたり、その後は家賃の代わりに月に数日働くという条件で住まいを提供してもらったりしながら、今年の春まで撮影を続けてきました。

 

監督によっても違うと思いますが、私はドキュメンタリーの編集をする際、被写体となった人たちと会い続ける(常に情報が入ってくる)状態は、あまり良くないと思うタイプです。撮影期間中は、とことん撮影するべきですが、(納得のいく撮影ができた!)と思えたなら、今度はひきこもるべきだ、と。

 

ドキュメンタリーと言えど、いや、ドキュメンタリーだからこそ(?)、完成する映画は、作り手である”わたし”の世界が100%反映されたものなのだと思います。

 

ドキュメンタリーと言うと、事実を記録するだけに思われがちですが、撮影の時点で、どこに立ち、何に向かってカメラを回すか、そして編集の際にどこを使うのか・・・、それらすべて”わたし”の意図が良くも悪くも反映されてしまいます。

 

映画に登場する人たちは、もちろん実在する人たちで、自由に発言していますが、でも、映画の中では、私の中で作り上げた”その人像”なわけです。

 

より深く、より熟成させたその人像を自分の中で作り上げて行く際に、情報が断続的に入ってくるのは、逆に熟成を阻害させてしまうと思うのです。

 

そのような理由と、そしてとにかく編集作業に強制的に集中できる環境が欲しいと思い、不便な場所に引っ越しました。

 

これまで、小型のビデオカメラと、簡易な三脚ぐらいしか持ち歩かなかった私が、今では長年人が住んでいなかった空き家と日々格闘しています。屋根に登って窓拭き、脚立を使って木の伐採、毎朝4時半に起きて庭の草取り、節約も兼ねて3畳ほどの家庭菜園・・・

 

長靴と虫除けの帽子に、汗拭きのタオルを首に巻いて、”農民”に見えれば良いですが、近隣住民からはきっと”不審者”に見えていることでしょう(^^;)

 

まだ日が浅いながら、なるほど空き家の維持は本当に大変だ!と驚嘆しつつ、贅沢な昔の造りの日本家屋に住む楽しさも満喫しています。

 

今は、インドの映像の編集の最終局面。日本語字幕を画面に埋め込んでいく作業をしています。

 

今後、不定期で、空き家暮らしの実践と、編集作業についてご紹介して行きます。お楽しみに♪