【雑木林コラム】アルコールとインタビューについての考察

先日の大雪からようやく回復・・・と思ったら、今日も早朝からの雪。昼頃まで降り続けて、畑の作物はまたすっぽり雪に覆われてしまいました。

 

今朝の雪の様子。

 

 

吹雪いてます…

 

 

私の畑。もう、どうしてくれるんだよ(T T)

 

 

でも、今日は終日在宅予定だったので、家の中でお茶を飲みながら雪景色を楽しむという、ぜいたくも出来ました(^^)

 

こんな寒い日は、頂き物の中国茶を。

 

 

「Heart of Gold」とか「Jasmine Fairies(ジャスミンの妖精)」とか、面白いネーミングがついています。

 

 

 

「Vanilla Dreams」というお茶を飲んでみます! 熱湯を注ぐと、花が開いたようになるタイプのお茶。

 

 

お茶請けには、きな粉の練り菓子と、干しりんごとキウイを用意しました。きな粉のお菓子が甘すぎるので、干して酸味が増したキウイがピッタリ(^^)

 

 

 

熱湯を注ぐとすぐに、花が開き始めました。

 

 

中国茶なので、2~3回お湯を継ぎ足しても、十分美味しいお茶が飲めました♪

 

 

前置きが長くなってしまいましたが、今日は「アルコールとインタビュー」の関係について書きたいと思います。

 

この作品(革命前夜)に限らずですが、映画のために誰かに話を聞いたり、人が(インタビューであれ、雑談であれ)話している場面を撮影し、映画で使うという場合には、その発言が「シラフ」でなされたということが、基本ではないかと思います。

 

多少のお酒は、緊張がほぐれて良いという考え方もあるかもしれませんが、私は、撮られる側の人が、撮られていることを認識し、なおかつ意識もはっきりした上で発言する方が、その人の「普段」の考えや意見が聞けますし、また、話した内容に大きな間違いや記憶違いがあるというトラブルも起きにくいので良いと考えます。

 

そんなわけで、私はインタビューをする際には、たとえその人が普段より緊張してしまったとしても、お互いにお酒の入らない状態でしています。たまに、相手の方はビール1本ぐらい飲むこともありますが、インタビュー中に深酒になることはまずありませんし、万が一そうなったら、それはその人のインタビューとしては使わない可能性が高いです。これはお酒に限らず、その人がひどく疲れた状態にあるとか、眠くて頭がもうろうとしている状態で話している…とかも同様です。

 

多少の例外はあるにせよ、上記の方針でインタビューを行っているので、りべるたんでおなじみの真壁夫妻にも、「シラフの状態でインタビューをさせてほしい」とお願いしました。

 

通常、インタビューは午後か夜早めの時間帯に行うことが多いのですが、「週末の朝早い時間ならば、まだシラフの状態かも」と言われたので、週末の早朝にインタビューをさせてもらいました(^^)

 

シラフでのインタビューは、夏ごろに撮影したので、まだ実際の映像は見ていませんが、私の記憶ではお2人とも「ガチガチで別人のよう」でした(> <)。

 

聞き手(=私)の力量不足ゆえという部分もあるのですが、真壁夫妻の場合は、酔っているときとシラフでは、違いが大きすぎるのです・・・。

 

かといって、りべるたんのリビングで飲んで、男性器・女性器を連呼・・・という映像では使えないし・・・。

 

でも、脱原発にかける熱い思いや活動、そしてお二人の深い愛情と魅力について、みんなに知って欲しいし・・・。

 

でも、りべるたんのリビングで話をしている時は、話題が原発であれ安倍政権であれ、大抵「ピー」音が入りそうな発言とセットになっているし・・・。

 

む、難しい・・・(> <)!

 

真壁さんについて、一体どうすれば・・・という悩みを抱えながら、このかん、撮影素材の見返しをしてきました。

 

真壁さんの発言の書き起こし一例。最初はいかなる会話も一字一句文字おこししていましたが、最近はこのように簡略化(^^;)

 

 

 

「何のことやら・・・」という方のために補足説明をすると、まず「このチンカス!」とディスったあとに、「いや、それじゃチンカスに失礼(=チンカス以下の野郎)」とセルフ突っ込みをするという、りべるたんで真壁さんに会ったことのある人なら、なじみの深い会話です(^^)

 

ガチガチのシラフインタビューか、それとも「ピー」音かという極端な選択しかないのか…と悩んでいましたが、撮影した映像の中に、奇跡的なインタビューを発見したのです!!

 

いつものようにりべるたんのリビングで、でも、まだ「飲み始め」で、「ほろ酔い」程度で、脱原発デモを主催した時のことを話してくれた映像があったのです! 話している内容も、真壁さんの優しく真面目な人柄も、むしろシラフよりも一番良く伝わるのではないかと思いました!!

 

確かに「酔って」はいます。これまでの原則に当てはめたら、「酔っている⇒素じゃない⇒使わない」と判断したかもしれません。でも、真壁さんのほろ酔い映像を見て、そもそも「素」ってどういう状態を指すのだろう?と考えました。

 

ほぼ、99%位の確率で、酔った状態でりべるたんにいる真壁夫妻。

 

りべるたんにおけるコミュニケーションは、真壁夫妻の場合は、酔った状態が前提で積み上げられています。特殊なケースかもしれませんが、その場合は、酔っている方が「素」(りべるたんにおけるその人の日常の姿)とも言えるのではないでしょうか?

 

しかし、「素」を伝えるのが良いとも限りません。ドキュメンタリーの場合、膨大に撮影した中から、ほんの一部しか本編には使われません。ある一面だけが切り取られる(=映画を見る人は「本編」という「編集結果」しか見ることができず、その「過程」や「背景」までは知ることが出来ない)という危険性についても考えなければならないからです。

 

「絵的に面白いから」と言って、突飛な、刺激的な一部分だけを強調するような編集では、その人やものごとが誤解されてしまいます。

 

それらも認識・考慮した上で、「その人らしさ」や「素(日常やリアル)」とは何かを、全体を見て考え、撮影した素材の中から「現実を再構築」していくことが必要です。

 

でも、ドキュメンタリーの編集とは、単に現実を再構築することや、事実に忠実であることだけが目的だとも思いません。その人・ものがどうかという「実際・現実」に加えて、「わたし」はそれをどう伝えたいのか(メッセージ)という大目的があり、それによっても、ストーリーの構築のされ方、使用する映像の選び方が変わってくるからです。

 

例えば、私は初監督作の『ブライアンと仲間たち』で、イギリス国会前の平和活動家、ブライアンを撮影しました。実際に彼に会ったことのある人なら分かりますが、ブライアンは日常の9割ぐらいは不機嫌で、彼を支えるサポーターや通りすがりで激励する人にも怒鳴りつけてしまうことが度々ありました。私はそんなブライアンに反発し、言い合いになったり、カメラを向けるのさえ嫌に思うことがしばしばありました。

 

それでも、根底にはブライアンへの理解と尊敬の念があったのと、映画に登場する日本人の大学生、椎野綾さんとイギリスで出会い、日本では大学の構内でビラまきをすることさえ出来ないと聞き、平和のために立ち上がる日本人が増えて欲しい、平和活動をするということにポジティブな気持ちを持ってほしいと願って、不機嫌9対ご機嫌1の実際の割合を、私の映画の中ではひっくり返したのでした・・・。

 

ですから、私の映画でしかブライアンを知らない人の中には、ブライアンをまるで聖人のように慕い、尊敬してくれる人もいます(^^;)

 

今から思うと、そのように事実を逆転するのが良かったのかどうか微妙に思ったりもしますが、ここで言いたいのは、要は、ドキュメンタリーとは、現実を忠実に再現する・再構築するために構成されるだけでなく、作り手の伝えたいメッセージや人物像によっても構成が変わってくる、ということです。

 

ドキュメンタリーは、いわゆる「フィクション」ではないとは言え、膨大な撮影素材の中からほんの一部を抜き出し構成するという編集作業は、シナリオを書く作業のようでもあります。そこには、(良くも悪くも、そして意識的・無意識的にも)私の「判断」「思惑」「意思」「意図」が反映されるのですから・・・。

 

そう考えると、撮影したものは「お芝居」ではないとはいえ、「絶対的・客観的な事実」でもないと思います。むしろ、ドキュメンタリーの目指すところは、客観的な「事実」より、作り手が考える「真実」を追い求め、表現していくことにあるのかもしれません。

 

だからこそ、広く&深く「事実」を見る力、そしてその中から「メッセージ」を読み取り伝える力などを鍛えていかなければならないんだなぁ・・・と思います。

 

そういう力は、一朝一夕には育たないですが、ドキュメンタリーの作り手として常に意識するべきことだと思います。

 

まだ、真壁さんのシラフ・インタビューは見ていませんが、多分、「ほろ酔い脱原発」映像で決まりかな(^^)!?

 

以上、アルコールとインタビューについての考察でした。