※必見!※ 経産省前脱原発テント:国家による強制執行の現場を捉えた写真と映像&「強制執行調書」を公開!

2011年9月11日、東京・霞が関のど真ん中、経済産業省管理のポケット・パーク内に建てられた「経産省前テントひろば」。設置以来、テントは脱原発を求める市民たちの声を代弁し、集会・コンサートやイベントなど、交流の場として親しまれてきました。

 

2013年3月、テントは経産省から立ち退きを求めて訴訟を起こされ、2015年10月、高裁で「控訴棄却」の判決が出ました。テントは最高裁に上告しましたが、2016年7月、最高裁で「上告棄却」の決定が出され、国側は2016年8月21日未明、周辺の道路を封鎖し、総勢100名以上の警備態勢で、テントを強制撤去しました。

 

強制執行が行われたのは、「強制執行調書」によれば、午前3時37分という、人通りも車の通行もほとんどない、官庁街・霞が関は眠っている時間帯です。

 

ですが、この日テントで仮眠していた人たちによれば、強制執行を告げに来た裁判所執行官の背後には、大きな三脚にビデオカメラを構えたマスメディアが、既に何社もスタンバイしていたそうです。

 

以下は、テントに泊まっていた男性が撮影した写真です。写真を撮ろうとすると、わざとカメラに向かって強いライトを当てられ、写真が白飛びしてしまうように妨害されました。

 

 

 

 

 

 

「テント強制執行」の急報を受け、すぐに現場へ自転車で駆け付けた一瀬敬一郎(いちのせ・けいいちろう)弁護士が、執行官や警察、警備員たちに妨害されながらも、強制執行の様子を写真と映像に記録しました。

 

以下は一瀬弁護士による写真です。

 

 

 

以下に、一瀬弁護士が撮影した映像をご紹介します。(再生時間:12分27秒、撮影:一瀬敬一郎、編集:早川由美子)

 

 

以下は、「強制執行調書」の写しです。普段、あまりお目にかかることのない類の書面ですが、独特な表現・言い回しが散見され、なかなか興味深いです。

 

まずは1ページ目。

 

執行に着手した日時:平成28年8月21日午前3時37分
執行を終了した日時:同、午前5時17分

 

執行に立ち会った者:氏名不詳の男性4名(!)2ページ目。

 

3ページ目。

 

4ページ目。「反原発美術館」(第二テント)は、「ギャラリー兼休憩所」と書かれています。

 

5ページ目。6ページ目。7ページ目。あの土地の地目は「宅地」なんですねぇ。8ページ目。

 

9ページ目。10ページ目。10~19ページは目録で、執行官がテントから持ち去ったものに対し、品名と評価額が記載されています。「反原発美術館」の責任者としては、貴重な美術作品の数々が持ち去られ、しかも勝手に「値付け」までされるという暴挙に憤慨!

 

10ページから順番に目録を見ても、美術館の寄贈作品らしき品名が見つかりません…。(よって、11ページから14ページは割愛)。

 

…と、ありました! 15ページ目の60番目に、「雑品入り フレコンバッグ」の記述が!! これは、現代美術家・イルコモンズさんの作品に違いありません!!

 

 

[名称]「ヴゥードゥー・アーティヴィズム 経産省前天幕広場仕様」
[内容] 呪具・祭具・呪符・フレキシブルコンテナバッグ・■■・贖物・蠱物・人形・■■■■・幣ほか
[効験] デモ以下、テロ未満

 

反原発美術館の寄贈作品の中でも、ひときわ異彩を放ったこの作品を、裁判所の執行官たちは一体いくらと評価したのでしょうか???

 

15ページ目。

 

えっ、400円!?!?

 

衝撃の、よんひゃくえん…!!

 

この、裁判所執行官による作品への評価額を、イルコモンズさんに恐る恐るお伝えしたところ、作品製作の原価すら大きく下まわる、たたき売り以下の捨て値だ!と、悲鳴にも近いブログ記事が掲載されました(> <)。(イルコモンズさんの当該ブログ記事は、こちらよりご覧いただけます)。

 

それ以外には、寄贈作品らしき記述は見当たりませんでした。「値付け」どころか、芸術品としてカウントすらしない、執行官の現代美術に対する見識のなさには、心底ガッカリです。

 

…というか、そもそも私は、芸術家が”芸術品”として寄贈した作品だけでなく、経産省前のテントそのものが「アート」だと思っていました。工夫を凝らしたプラカード、メッセージが沢山書かれた楽器、手作りの人形etc、それら全て、民衆による豊かな芸術表現です。

 

イギリス国会前の平和運動を記録した、私の初監督作『ブライアンと仲間たち』の主人公、ブライアン・ホウが、彼の抗議活動に賛同する、世界中の人々から贈られたプラカードや人形を、「ウェストミンスター心の美術館」と呼んで、誇らしく飾っていたのと共通する精神があるなぁ、と感じていました。

 

ブライアンの、イギリス国会前「ウェストミンスター心の美術館」の映像は、こちらからご覧いただけます(^^)!

 

 

これら、ブライアン所蔵の美術作品も、しばしば政府や警察に奪われたり、壊されたりしていましたが…(> <)。

 

さて、話がやや脱線しましたが、また「強制執行調書」に戻ります。

 

16~20ページは、同様に目録が続くため割愛します。

 

21ページ目。保管場所は、委託民間倉庫の、その名も「押入れ産業株式会社・勝どき店」ですと!

22ページ目(最終頁)。以上が、テントの強制執行時に作成された「強制執行調書」です。

 

ここ数年だけでも、いわゆる共謀罪法の制定、そして都条例の改正(改悪)など、国や地方自治体、大企業などに異を唱える市民の声・抗議活動は、ますます強権的に、まるで戦前並みに取り締まられてきています。気がつけば、デモすら出来ない、プラカードを持って歩くことさえままならない社会が、もう目前にあります。

 

経産省前脱原発テントに対する立ち退き訴訟、そして強制執行も、こういった政府・社会の動きの延長線上にあると言えます。経産省前脱原発テントが、あの日、どのように強制執行されたのか、関心を寄せてくださればと願います!