【映画監督、日々の暮らし⑦】『三里塚のイカロス』~「当事者」より「志願兵」の面白さ

私は、映画を作っている割には、そんなに映画を観ている方ではありません(自慢にもなりませんが^^;)。現在は、駅前にコンビニさえ無い不便な土地に住んでいることもあり、ますます映画を観る機会が減りました。

 

しかし知り合いに誘われて、先日、渋谷のイメージフォーラムに、『三里塚に生きる』(大津幸四郎・代島治彦監督)と、その「姉妹編」とされている『三里塚のイカロス』(代島治彦監督)を観に行きました。

 

大津幸四郎さんと言えば、小川紳介監督や土本典昭監督作品の撮影を手掛けた、日本を代表する映画カメラマン。遺作となった『三里塚に生きる』は、イメージフォーラムのサイトで、以下のように紹介されています。

 

『日本解放戦線・三里塚の夏』を撮った伝説のキャメラマン、大津幸四郎の遺作にして執念の一作をアンコール公開!

 

『三里塚に生きる』
1960年代にはじまった成田空港建設反対闘争を、当事者である成田市三里塚の人々の証言から描いたドキュメンタリー。本作が遺作となった大津幸四郎キャメラマンが、『ニッポン解放戦線 三里塚の夏』(1968)以来45年を経て三里塚の農民にキャメラを向け撮影し、共同監督を努めた。現在の三里塚の人々の姿から、空港闘争とは何だったのか、国家権力に振り回されてきた人々のくらしや考えが静かに浮かび上がる。闘争の過程で亡くなった二人の死者、自宅と田畑を強制収容された大木よねが残した「闘争宣言」を吉行和子が、22歳の若さで自死した三里塚青年行動隊・三ノ宮文男の遺書を井浦新が朗読し、死した者の心を現在へ口承している。

 

姉妹編とされる映画、『三里塚のイカロス』の作品紹介は以下。(イメージフォーラムのサイトより)

 

『三里塚のイカロス』
サンリヅカって何ですか? “あの時代”って何だったんですか?
三里塚の農民とともに国家権力と闘った若者たちの“あの時代”と“その後の50年”

 

ある日突然、この土地に空港を作るから出て行きなさいと言われた農民たちの闘い。それが、日本で最大の、そして最後の国家権力に対する抵抗運動、成田空港建設反対闘争だ。成田市三里塚の農村地帯に巨大空港を作ることを決定した政府による暴力的な土地収奪に、農民たちは抵抗運動を開始した。そこに、若者たちが集まった。農民たちの抵抗を支持し、三里塚を革命のための拠点とし、すべては変えられると信じていた若者たちが。あれから50年。“サンリヅカ=三里塚”から、毎日海外旅行へと人々が旅立つ。そこでかつて何があったのか。多くの若者たちは知らない。忘れてしまった人も多い。成田空港のその下に“あの時代”が埋まっていることを。

 

本作は「映画芸術」日本映画ベストテン第3位、日本映画ペンクラブ文化映画部門第2位などに輝いた『三里塚に生きる』(2014)の姉妹編である。前作が国家と闘った農民を中心に描いたのに対して本作は農民とともに闘った若者たちの人生を描く。三里塚闘争の責任者だった者、農民支援に入った農家の若者と恋をして結婚した女性らの他、農民運動家や元空港公団職員などがこれまで誰にも語らなかった“あの時代”と“その後の50年”の記憶を語っている。三里塚現地責任者を務めた元中核派政治局員・岸宏一は、本作完成後、2017年3月26日、谷川岳で遭難。本作が最後の貴重な証言となった。音楽は大友良英によるフリージャズ。撮影は小川プロ出身の加藤孝信、劇中印象的なイカロスの絵は、『PRIVATE WORLD』で知られる下田昌克が手がけている。

 

私は、いわゆる三里塚闘争について、かなりおおざっぱにしか知りません。ほぼ、一般的なニュースのレベルの知識です。ですから、土地を取り上げられる農民に対し、全国から支援が入ったこと、それらの支援組織は、「セクト」と呼ばれる各党派や、党派に属さない「ノンセクト」も入り乱れ、運動が分裂・複雑化したこと・・・etcは、私より二回りちかく年下の、りべるたんのメンバーに教えてもらったのでした(^^;)

 

一方、一緒に観に行った方は・・・

 

・・・かつて三里塚の闘争に参加し、横堀要塞の籠城戦(1978年)でたたかった1人なのだそうです!!

 

「団結小屋」、「要塞」、「籠城戦」などの言葉が飛び交う当時の体験談は、(当人はもちろん「死ぬかと思った」ほど過酷だったそうですが)、描写がエンターテイメントに満ちていて、爆笑しながら聞いてしまいました(^^)。

 

私はゲームもやらないので、「要塞」と聞いても形状がぴんと来なかったのですが(洞窟みたいなもの?とか)、ネットで調べてみると、横堀要塞って巨大なんですね・・・!

 

横堀要塞籠城戦の様子。衝撃(^^;)

 

 

籠城戦は2月だったため、放水車でずぶぬれた毛布は鉄板のように凍り、食料も1日で尽きて、手元にあるのは火炎瓶などの武器だけ。隣の人の声が段々出なくなり、うずくまっていく様子を見て、(人間は声が出なくなるともう駄目なんだな。明日まではもうもたないだろう)と悟ったそうです。

 

要塞の下では、農婦たちが必死で「あの子たちが死んじゃう! 降ろしてあげて!」と懇願していたそうですが、彼らを籠城戦へと送り込んだ支援組織の指導者たちは、「明日まで頑張れ。明日になったら全国から支援が来るだろうから」と構えていたそうです(^^;)

 

ひぇぇぇぇ~~~、ほんと命懸けだぁ・・・!

 

『三里塚に生きる』と『三里塚のイカロス』は、それぞれ2時間を超える長編だったので、両作品を観終えたころにはすっかり日も暮れていました。観終えて、私の中では、『三里塚のイカロス』の面白さが強く心に残りました。

 

もちろん、『三里塚に生きる』も、農民たちの思いに圧倒されながら観たのですが、いかんせん、現在、畑をやっている私には、(こういう作業も鎌でするんだ?)とか、(あの農機具は竹林を開墾するために使うのね!)とか、そういった「農作業の実務的側面」にばかり目が向いてしまいました(^^;)。それでも、私の近所とほぼ似たような光景の田畑で、頭上をジャンボジェット機が轟音を響かせて飛んでいく様子は、これが「三里塚で生きる」ということなのだ・・・と否が応でも突き付けられたかのようでした。

 

映画を観に行く前、『三里塚のイカロス』に関しては、監督の製作の動機、登場人物の人選や組織の内情の描き方に賛否両論あり・・・というようなお話を、ちらっと聞いていました。

 

かつて三里塚のたたかいに支援者として関わり、現在も繋がりを持っているその人にとっては、『三里塚のイカロス』に登場する活動家たちは、ほとんど知っている人たちばかり。必ずしも、三里塚闘争を代表している(代弁するにふさわしい)とは言えない人がメインで登場していたり、内ゲバや農民への攻撃を正当化するような発言も含みつつ、当時のことを一方的な目線で語る・・・というのは、許せない気持ちもあるのでしょう。「なんでラストがあいつなんだ?」とか、様々な点に納得がいかないようでした。

 

一方、なんの知識もしがらみもない私から見れば、登場する人たちは、かつては「セクト」に属していたり、逆にセクトを毛嫌いしていた立場の人も出てくるけれども、彼らは皆、「自分」の人生を自分の言葉で語っていると感じました。セクトに対して忠誠を誓い、人生の大半をささげてきた人が、その後セクトから離れる。古巣に対する、愛憎が入り混じった複雑な心情を吐露する姿は、三里塚闘争の最も激しかった時期から数十年たった今だからこそ、語れるようにも見えました。

 

「セクト」ではなくても同じ構造が、元空港公団職員の用地買収責任者のインタビューにも垣間見れました。闘争が過激になり、公団の職員も命を狙われてもおかしくない状況だったころは、その職員にも警備がついていました。しかし、退職後は警備が解かれ、反対派に自宅を襲われてしまいました。犯行声明が出ているにもかかわらず、警察は事件の捜査をほとんどしてくれませんでした。職務上、農民から土地を奪う側だった彼もまた、国、空港公団に利用され、利用価値がなくなると葬り去られる・・・という構造が浮かび上がります。

 

「農民」という当事者だけでなく、成田空港に人生を懸け、翻弄され、「今でも」そのことを背負って生きている人たちの姿が描かれていると思いました。正義感に燃え、闘争に参加した女学生が、三里塚の農家の嫁になる。京都の高校生だった男性は、闘争に参加し、卒業式にも出られなかった。闘争中に事故に遭い、その後ずっと車いすの生活を続ける。別の男性は、自宅と田畑を強制収容された大木よねさんに共感し、養子縁組をしてまで支え続けた・・・。

 

もともと、三里塚で農民をしていたから闘争の「当事者」になってしまったという人たちに比べ、当事者でもないのに命懸けで支援に駆け付けた、いわば「志願兵」の人たちの思いや人生は、想像していた以上にバラエティーに富んでいました。普通、何かの問題や闘争というと、「当事者」にフォーカスした映画が作られる方が圧倒的に多いと思いますが、「志願兵」に注目したこの映画、とても面白かったです。

 

映画は現在、横浜シネマリンで公開中で、今後、全国の劇場でも順次公開されていくようです。公開スケジュールはこちら

 

余談ですが、イメージフォーラムでは、両作品ともに英語字幕付きで上映されていました。『三里塚に生きる』の英訳は、映画監督のジャン・ユンカーマンさんによるもの。両作品とも、「中核派」を「Chukakuha」と訳していましたが、(ええっ! 今どきは、「Sushi(寿司)」や「Geisha(芸者)」だけでなく、「Kisha-club(記者クラブ)」とか「Karoshi(過労死)」も、英語圏でやや通用するようになってきたと聞くけれど、さすがに「Chukakuha」は・・・?!)と、時々翻訳も行う私としてはドキドキしました(^^;)

 

気になって、中核派のホームページにアクセスしてみると、彼ら自身は、英語の組織名を「Japan Revolutionary Communist League (Chukakuha)」と表記していました。なるほど、自分たちでも「Chukakuha」としているのですね。映画の中では、中核派の名称が何度も出てきますが、おそらく初出(初回)のところだけ「Japan Revolutionary Communist League (Chukakuha)」と字幕を付け、あとの繰り返しは「Chukakuha」と表記しているのではないかな?と思いました。・・・たぶん!(私だったらそうするだろうな^^)

 

英語字幕翻訳もまた、映画同様に奥が深い世界ですよね・・・!

 

以上、久しぶりの映画鑑賞(汗)についてでした!