【制作日誌】まだまだ8・15靖国! – 10年前はたった7人という衝撃(2018.09.09 革命前夜)

前回の制作日誌で書いたとおり、自分で撮影した2015年8月15日の靖国神社&周辺の映像がいまいちだったので、当時撮影していた他の監督にも、映像を提供していただけないかとお願いし、私自身はリベンジとして、今年の8月15日にも撮影に行きました。

 

8月15日に関する撮影素材の見返し&書き起こしは、以下の順番で行っています:

 

①私が撮影した2015年8月15日の靖国神社&周辺の映像(⇒書き起こし作業済み)
②ムン・ジョンヒョン監督が撮影した、2015年8月15日の靖国神社&周辺の映像(⇒書き起こし作業済み)
③私が撮影した、今年の8月15日の靖国神社&周辺の映像(⇒書き起こし作業済み)
④日韓のドキュメンタリー監督4名(日本2名、韓国2名)が撮影した、2015年8月15日の反天連デモの映像(⇒昨日より、書き起こし作業を開始したところ)

 

当時の撮影データをこれから探すという監督の分もありますが、提供してくださるのはいずれも日韓を代表する大ベテランの方ばかり!! 私の映画で使わせてもらうのは、明らかに「分不相応」な贅沢なのですが(^^;)、快諾してくださった方々のキャリアに恥じない作品にするぞ!と、良い意味でのプレッシャーとして、自分に発破をかけて行きたいと思います(^^)/

 

それにしても、反天連デモを6カメ体制で撮影なんて(今年の撮影映像も加えたら7カメ!)、これはもう、警察権力に次ぐカメラ台数の多さではないでしょうか?(^^;)

 

まさか、8月15日の映像書き起こしだけで、ゆうに1か月を超える期間を費やすとは思っても見ませんでしたが、当時、自分と同じ対象を撮影していた、日韓のベテラン監督たちの映像をつぶさに見るというのは、私にとってこれ以上勉強になる素材はありません。どこに立ち、どう動き回り、何にカメラを向け、どのように撮るか…、本当にすごく勉強になります!

 

なので時間はかかっても、撮影の勉強も兼ねて、じっくりと見ていきたいと思います。

 

ところで、一昨日までは、今年の8月15日に撮影した映像の書き起こしをしていました。以前、このブログで書いたように、今年は、従来からの「右」だけでなく、いわゆる「ネトウヨ」も撮ろうと決めていました。(現在では、「ネトウヨ」と一括りにできないほど細分化・多様化していますが、ここでは便宜上、こう書きます)。

 

社会問題の取材というと、大抵、「左」側の人々や集会を取材することがほとんどです。なので、私はこれまでに「右」、ましてや「ネトウヨ」の人たちを、(ヘイトスピーチのカウンター取材で「外」から撮る場合を除いて)、「中」に入って撮影したことはありませんでした。

 

しかし今年は、反天連デモへの攻撃が最も激しい九段下交差点で、ネトウヨたちの「ど真ん中」に陣取って撮影をしたいと考えました。もちろん、今までにそんなことはしたことがありません。

 

私はほぼ無名の監督とはいえ、そもそも抗議活動の現場でビデオカメラを回す人が少ないので目立ちますし、さらにそれが「女性」となると、1回のデモにつき1~2名ぐらいが平均ですから、ネトウヨの中でも私を知っている、ネット上の動画に写り込んでいるのを見たことがある、という人たちがいる危険性があります。

 

左寄りの人間が、ネトウヨの中に入ってカメラを回そうとしているとバレれば、私はその時点で即刻退場でしょうし、運が悪ければフルボッコにされてしまうかもしれません(> <)

 

・・・かといって、日章旗の鉢巻きをして変装するのもかっこ悪いですし(^^;)

 

とりあえず普段どおりの服装で、でも、さも「いつもネトウヨの皆さんと共にいます」然(?)とした態度で、九段下交差点付近に陣取った「行動する保守運動」の中に入っていきました。(内心ドキドキ・心臓バクバクでしたが^^;)

 

反天連のデモ隊が通過する予定時刻は18時前後でしたが、彼らは15時ぐらいからそこで集会を行っていました。私が到着したのは17時でしたが、既に交差点には千人を超えるであろう人々でごった返していました。

 

 

もちろんネットでは、彼らのスピーチを聞いたことはありましたが、こうして1時間近くも共にいて、マイクを握る様々な人の発言をまともに聞くのは初めてで、その発言内容やロジックは、なかなか興味深くもありました。

 

「これは、日本人対日本人の、絶対負けられない戦いなのです!」

 

「これから、皆さんの目の前を、反日ヘイト・極左暴力集団、反天連が通ります! こいつらを倒さない限り、日本の戦後体制を終わらせることは出来ません!」

 

「私たちの戦いとは、この戦後体制を終わらせる戦いです!」

 

「私たちは、靖国神社の前で大きな声を出すことに、本当は心を痛めております!」

 

「しかし、極左暴力集団のやりたい放題が野放しになっているというのが、今の日本の現状です! 皆さんの目の前にあるフェンス、この檻(オリ)は、日本人が日本の名誉を守るということを許さず、反日の自由だけはいくらでも認めるという檻なのです!」(へぇぇぇ・・・^^;)

 

「日本を罵ることは絶対に許されないことです! しかし、憲法で保障された言論の自由を盾に、警察は、極左暴力集団を野放しにしています! 残念ながら、警察は日本を守ってはくれません。この日本を守ることができるのは、我々だけなのです!」

 

大体ざっとこんな感じの発言内容でしたが、中には、反天連側の歴史についても紹介していたりして(「あろうことか・・・」などの枕詞つきではあるものの^^;)、参考になる部分もありました↓

 

「そろそろ反天連が近づいてきております! 私たち日本を貶め、私たち日本の未来も貶める、そのような極左暴力集団・反天連が、まもなく私たちの目の前を通ります! この運動というのも、昔から続いておりまして、過去においては靖国通りを上にのぼり、あろうことか靖国神社の大鳥居を目指す・・・、そのようなコースだったと聞いております。ですが、皆さんの頑張りもあり、今ではこの交差点(九段下交差点)をもって、目白通りを通るというデモコースに変わってきております!」

 

ネトウヨたちの運動によってコースが変更されたかは不明ですが、しかし、デモコースの設定(申請と許可)というものは、世論と権力との力関係の反映でもありますよね? 過去には靖国通りを上に歩いていくことが出来ていたのならば、抗議活動の権利がだいぶ後退してしまったといえます。(左右陣営ともに相手の抗議活動が厳しく制限されるのを喜びますが、結果的には両方の首を絞めることになると思うのですが…> <)

 

反天連がもうまもなくやってくる…という時刻になると、歩道は歩けないほどの人で、埋め尽くされていました。主催者が、この日の参加者は二千人と発表していましたが、実際それぐらいいるかもしれないと思えるほどの、大群衆でした。

 

交差点に集まる人々は、特攻服を着て街宣車に乗るような、昔ながらの(?)右翼ではなく、「ごく普通」に見える人たちでした。よく、右も左もお互いに、「あいつらはカネで雇われて動員されている」と批判し合います(右なら日本政府、左なら中国共産党や北朝鮮に等w)。そういう人もいるかもしれませんが、左翼同様ネトウヨも、個人で、自分の意思なり危機感なりでやってきているのだろうと思われる人たちが大半であるように感じました(それはそれで、ある意味「動員」より怖いことですが・・・^^;!)。

 

桜井誠が演説の中で、こう言いました:

 

「日本人の誇りを守れるのは、我々日本人だけなんです! 皆さんにこのことを訴え続けて10年。最初はたった7人で始まったこの運動が、今ではこれだけ大勢の人たちが(集まっています)。あなた方の周りをごらんなさい…(以下略)」

 

 

いまや、大群衆が集うこの抗議活動は、ほんの10年前は、たったの7人だったのか。。。

 

驚くと同時に、それはそのまま、この国の10年間の変わりようを現しているように思えてなりませんでした。

 

目の前を通り過ぎる反天連の声は、熱狂した「ごく普通の人々」の怒号と罵声で、ほとんど聞き取ることが出来ませんでした。その「ごく普通の人々」は、反天連のデモ隊が見えなくなるまで、いや、見えなくなってもずっと、「帰れ!」と叫び続けていました。

 

ずいぶん時間がたって、やっと「帰れ!」コールがやみました。主催者の終わりの挨拶があり、桜井誠による参加者たちへのねぎらいのスピーチがあり、集まった人たちはそれぞれ帰り支度を始めていました。

 

すると、一人の青年が壇上に立ち、マイクで演説を始めました。気の弱そうな、人前に出るのは苦手そうな男性でしたが、スピーチは不慣れな調子ながらも、立ち去る人々の背中に向かって話し始めました。

 

以下は、その青年の発言です:

 

「本日はお集まり頂き、ありがとうございます。今、日本第一党という政党があります。日本第一党が政権を取るというのは、皆さんは夢物語だと思っているかもしれません」

 

「しかし、私はそうは思いません。私は4年前まで中学生でしたが、今の若い世代は、まっとうな思想を取り戻しています」

 

「今日来ていただいた世代の人たちや、周りの人は、まだまっとうな思想を取り戻していないと思うかもしれませんが、若い世代は、ほとんどが、まっとうな思想を取り戻しています」

 

「ですから、日本第一党が政権を取るというのは、これは夢物語ではないんです!」

 

すっかり集会はお開きというムードの中で、彼の発言を注意して聴く人は多くありませんでしたが、桜井誠が歩んできた10年と、さらにこの先の10年を予感させる、青年の演説でした。

 

桜井誠が「在日特権」と言い始めた当初、あまりに荒唐無稽な発想であるため、極端なごく一部の人たちの間でしか広まりえないだろう・・・と思った人は、私を含め少なくないと思います。しかし今では、政党を作り、その党首になり、都知事選に立候補し、11万を超える得票を集めるとは、一体誰が想像しえたでしょうか?

 

マルティン・ニーメーラーの「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」ではないですが、立ち去る人々の背中に向かって、「日本第一党が政権を取るのは夢ではない」と訴えるこの青年を、「ありえない!」と笑い飛ばすことは出来ないと思います。

 

そんなことを思った、今年の8月15日靖国でした。