【制作日誌】学生ハンスト初日:まるでグラビア…な撮影会&足立正生監督激励!(2018.10.03 革命前夜 – 動画あり♪)

2015年8月27日午後2時より開始した、「安保法案制定阻止」・「安倍政権打倒」を求める、無期限の学生ハンガーストライキは、前回のブログで報告した「最初の第一声」に続いて、メディア向けの撮影タイムがありました。

 

一般に日本の社会運動は、(元)シールズなどを除いて、全体的には年齢層が高めです。3.11以後は、若い人もデモに参加する機会が多少は増えてきたとはいえ、やはり運動の中心はまだまだ、1960年代の学生運動を中心的に担ってきた方々が、今も現役で頑張っているという状態です。取材や撮影で、様々な団体の方々にお話を聞きしますが、「後継者がいないから、引退したくてもできない」という声をよく聞きます。

 

まぁ、日本全体が高齢化しているのですから、それを反映しているだけとも言えますが…。

 

そのような、高齢化した社会運動にあって、「政治に関心を持つ、若い学生たちがハンストを…」というのは、運動界隈の方々だけでなく、左翼系メディアもウキウキするニュースだったようで、ハンスト開始日には、沢山の(主に)独立系メディアが駆け付け、取材を行っていました。

 

取材を受ける井田さん。

 

 

レイバーネットTVの取材を受ける木本さん。

 

 

メディア向け撮影タイム。

 

 

 

「(カメラ)目線ください」、「笑ってください」、「いや、怒った表情で」等々、カメラマンたちの注文が飛び交います。水着こそ着ていないものの、これじゃあグラビア・アイドルの撮影会ではないですか(^^;)!!

 

 

笑顔で撮影に応じた後は…

 

 

…今度は「怒って」の注文。ハンスト実行者たちはガッツポーズを作ります。

 

 

私は、個人的には自然体の写真が好きなので、普段「目線ください」なんて言いませんが、このときは他の取材者たちに倣って、試しに私も「目線ください」と言ってみました。

 

その結果がこちらの写真。

 

 

…うわ! 思いっきりカメラ目線というのは、キマりすぎで逆に怖くないですか…!?

 

私はやっぱり、自然体の写真が好きだなぁ。カメラ目線ではなく、そもそも私のカメラ自体意識しないような状態が。

 

以下の写真は、初日の夕方ぐらいに、もうほとんどのメディアが引き上げた後で撮った写真です。こういう方が、カメラ目線で決めポーズをする写真より、よっぽど「無期限ハンスト中」という雰囲気が伝わると思うのですが。。。

 

 

グラビア・アイドルならば、むしろ「私を見て!」的な、露出狂っぽい人々が多いわけですが、このハンストの実行者の方々は、「私を見て!」という動機でハンストをしているのではありませんし、むしろ撮られるのは苦手そうな人ばかりです(^^;)。

 

延々10分ほど続いた「グラビア撮影会」は、はたから見ていて苦行にしか見えず、同情してしまいました。

 

…などと言いつつ、私も撮っていたのですけどね(^^)!

 

というか、私の場合は、「これからハンストする人たちを撮りたい」というよりも、そこでまさに行われていた「撮られるのが苦手そうなハンスト実行者たちと、その彼らを嬉々として取材するメディア」という構図を切り取りたいと思って、その視点でカメラを回していました。

 

まるでグラビア…な撮影会の様子を写した動画は、以下よりご覧いただけます。

 

 

グラビア撮影会のあとは、それぞれの取材者たちが、ハンスト実行者や実行委員会の責任者などに取材をしていました。

 

…と、足立正生監督がふらりと出現!

 

足立監督が、ハンスト実行者たちを激励する様子を撮影!!

 

 

私はこのときのやり取りを見て、足立さんは「映画監督」であると同時に「革命家」であり、たくさんの「革命家たち」を撮影してきた方なんだなぁ…とつくづく思い知りました。

 

足立監督は、ハンスト実行者にもかかわらず、撮影されやすい場所から離れて立っていた島根さんを、ごく自然に、「(ハンストをするという)覚悟性を、みんなに見せてあげなくちゃさぁ」と、私のビデオカメラのフレームにちょうど収まる位置に、引っ張ってきたのです!

 

さらに、「覚悟性を恥ずかしがる、そのレベルはもう、ステップアップして終わり。どんどん自分を晒すっ!」と島根さんに言い聞かせ、カメラの前に押し出したのです!!

 

 

革命家には覚悟が必要と説きつつ、撮影をする。撮影される(自分を晒す)ことを受け入れる。

 

それは、映画のためだけに言っているのではなく、革命家の側の、態度・生きざまとしても必要なことだ、と。

 

「撮る」ということが、撮る側&撮られる側の双方にとって「必要」な行為。

 

足立監督とハンスト実行者たちの会話を書き起こしながら、そんなことを考えました。

 

そうだとしたら、逆に、そういう関係が成立して初めて、つまり撮る側と撮られる側が「共犯者」の関係になって初めて、「革命」が始まり、なおかつ「革命」をテーマにした映画が成立するのではないか?

 

では、その関係が成立していないorしなかった場合は、「革命」の映画ではなく、「革命の挫折」の映画となるのか…?

 

私の映画は、『革命前夜』というタイトルで、テーマも「革命」だが、どうなってしまうのか…???

 

そんな心配も頭をよぎりました。

 

でも一方で、果たして革命の「実現」、もしくは「挫折」というような「結果・結論」の部分に、自分の主眼があるかなぁ?とも思いました。結論よりも、魅力的なのは「生きざま」であり、「過程」ではないか、と。

 

私は、革命のプロパガンダ映画を作りたいのではなく、また、革命を攻撃・批判する目的の映画を作りたいのでもなく、願わくば、私が見たもの、撮ったもの、被写体との関係性、相手との距離の近さ・遠さ…それらが、「ありのまま」表現された映画を作りたい。そこから見えてくるものが、私が映画を通して伝えたいメッセージとなるのではないか?

 

まだこの先、撮影素材の見返し・書き起こし作業を続けていく中で、自分の心境がどのように変化するかは分かりませんが、現在はこのように感じています。

 

以上、本日の制作日誌でした(^^)/