大阪YWCA機関誌 2013年2月特別号 「声をあげるってカッコイイ」 監督インタビュー

2013年2月、大阪YWCAの機関誌に、監督インタビュー記事が掲載されました。ネット上の記事は、こちらよりご覧いただけます。記事の全文も以下にご紹介します。


さようならUR

YWCA, インタビュー, 大阪YWCA

記事本文 「声をあげるってカッコイイ」

ドキュメンタリー映画監督 早川由美子

▶ ドキュメンタリー作家になるまでの、きっかけや出会った人たちについてざっくりと教えて下さい。

初めから映画監督を目指したのではありません。就職氷河期で、まだ当時国営だった郵便局に国家公務員の形で就職し、5,6年働き、その後沖縄西表島で4ヶ月ほど滞在、また東京に戻り5年ほど会社員をしました。その後ジャーナリストになりたくてイギリスのジャーナリズムの学校に入学し、偶然ブライアンに出会ったのです。

普通の家庭に育ち、社会問題など深く考えたこともなかったですが、学生時代にティッシュ配りのアルバイトをしたとき、路上で働く人々と沢山出会いました。ミュージシャンやホームレスの人々など。中卒で集団就職してきて今は使い捨てられている人たちとか、いわば裏日本史を知ったわけです。ところがそういう人たちは可哀想というより逞しいのです。食べるものを見つけ、寝るところを工夫し自力で生きている。売春をしているような差別される女の子たちが逞しくしたたかなのにある種の憧れを覚えました。

公務員になったのは、ホームレスの人たちに女性が一生働き続けるなら公務員だと言われ、路上の人たちの発言はとても説得力があって(笑)郵便局に就職したものの、所詮やりたい仕事でもなかったし、安定していると言われても40年ここで働く、というのは嫌だなと思いました。4年間の官舎住まい(家賃は月1万円)で貯金もたまりました。仕事が退屈なので週末に渋谷や新宿に遊びに行っていましたが、そこでフリーペーパーに外国人向けの格安ゲストハウスの広告が出ていて、六本木徒歩30秒のぼろアパート3Kに15人くらいが住む所を見つけました。2段ベッドが一部屋に三つ置かれているようなところで家賃4万円(光熱費込み)、殆どの住人は観光ビザが切れて不法労働、特に場所柄からホステスや売春で生計を立てている女性たちで、カルチャーショックを受けました。たとえばポーランド人でホステスをしている女性は「子どもの時に先生から、今まで習ったことは全部忘れて下さい。今日からこの教科書です。」という民主化移行の経験をしており、これは日本なら戦前生まれの人しか経験し得ないことで、いろいろカルチャーショックを受けました。やがて、郵便局の仕事に興味が失せて、外に出たいなあ、何かしたいなあ、と思うようになり退職しました。沖縄には「自然のリズムで生きている」というような憧れがあったので、沖縄の西表島に移住し、しばらく住み込みで働いた後、また東京に戻りゲストハウスに住み、社会のメインストリームではない人々や情報に興味を持ちました。会社では電化製品のマニュアルを書く仕事をしていましたが、週末には自分の考えを書いたものをミニコミ誌に持ち込むようになりました。

そのうち都内の駅や公園でベンチに仕切りがついたり、空き地に妙なオブジェが出来たりして、ホームレスの人をどんどん排除している状況に気づき、土日の休みを利用して三ヶ月間都内の公園を回り、100人のホームレスの人にインタビューして「東京で一番寝にくい椅子を探せ」という記事にしました。しかし持ち込み原稿はどこの新聞社も相手にしてくれず、ラジオで知った「オーマイニュース」という韓国発の市民メディアで、誰でも登録し発表できるサイトに掲載しました。インターネットの配信は初めてでしたが、たちまち「ホームレスになるのは自己責任」というネット右翼的なコメントが100件以上入り、炎上したのがきっかけで、ニュース23(当時のキャスターは筑紫哲也さん)のディレクターの目に留まり、4日間公園取材の状況を撮られることとなり、映像のすごさ、力を知り、それまでの文章と写真で伝えようという考えを変えさせられました。イギリスにジャーナリズムの勉強をしに行こうと思っていましたが、安いビデオカメラを買い、それを持って渡英、一ヶ月後の観光中に偶然国会前でブライアンに会い、始めはホームレスかと思いましたが、イラク反戦運動でもう6年も家に帰っていない、と聞き驚き興味を持ったのです。

▶ そもそもなぜイギリスだったのですか

日本のジャーナリズムの学校は少ない上に閉鎖的な印象があり関心が持てなかったし、不法就労やゲストハウスの実態など社会の底辺をあまりメディアは報道しないし、日本のマスメディアに入りたいとは思わなかった。ただ、技術は身につけたかったし、授業を理解するには英語圏でないと難しい。イギリスのコメディやブラックユーモアのセンスが好きだったので、イギリスに行こうと思ったのです。NHKに相当するBBCが女王の批判をする、王室をからかう専門のコメディアンもいる、そういうある種の風通しの良さが好きでした。権力に向かって、市民は力ではかなわないが、ユーモアやアートで闘う、立ち向かえると思ったわけです。イギリス人の友達もいたので、日本で放送されていないイギリスのコメディアンのDVDなども見ていました。ジャーナリズムを専門に教える80年の歴史を持つ専門学校があるのも知りました。

▶ 英語圏ということだけど、英語はどこで勉強されたのですか?またイギリスのジャーナリズムの学校はどうでしたか

語の習得は学校というより、ゲストハウスでは日常的に英語を使って話していたので、それで自分でも勉強するようになりました。イギリスでは最初の半年英語を学び、8ヶ月ジャーナリズムの学校に通いました。ジャーナリズムの学校は、生徒の8割はイギリス人学生であとはヨーロッパ系、アジア人は当時私ひとりでした。

▶ 海外生活に不安とか、何かぶつかったこととかは?

ウーン、何しろ日本でのゲストハウス暮らしがめちゃくちゃでしたから、あまり不安はありませんでした。掃除をしていたら注射器が見つかったり、ホステス同士がフライパンで殴り合いをしていたり、その報復で夜中にヤクザが現れたりとか....(笑)

イギリスの住まいはネットで見つけたのですが、やたら安いと思ったらロンドン東部の一種のスラム街でした。住民の80%イスラム系でした。その地域に住んでいると言うと、イギリス人は驚いていましたが、宗教心があるからか、治安は思われているほど悪くなく、とても住みやすかったのです。一軒家に7人で暮らしましたが、全員外国人。ペルー、ブラジル、フランス、スペイン、など、大家さんはカザフスタン人でした。楽しかったです。モスクが近くにあって、ロンドン中から毎週1万人の人が白い服を着て礼拝に来ていましたね。

▶ 帰国してからの計画は

実は留学は、会社を休職して行きました。メディアで食べていくにはマスメディアに就職しなければならないのだろうけど、それはあまり望んでいなかったので、ジャーナリズムを学んだあとは会社員として働きながら、情報発信すればよいと考えていたのです。しかし、ブライアンの映画を作り始め、これを上映したい、映画に専念したいと思い始めたので結局会社はやめました。

▶ ブライアンさんと出会って、撮影の中のやりとりとかどうでしたか?すぐにカメラを回したのですか?

当初は映画を作ろうと言う気はなく、YouTubeに載せようと思いました。私自身は平和運動やデモ、署名などやったことなかったのですが、ブライアンの抗議活動はいろいろな人が集まり、舞台のような空間、コミューンみたい、と面白く思ったのです。始めはブライアンは「忙しい」と言ってとりあってくれず、ただタバコを3、40分吸っているのを横でぼーっと座って見ていました。やがておもむろに話し出したのでなんとなくカメラを回し始めたのが、映画の中で出てくるLove & Hateの部分です。彼が誰かに「働け」と言われて怒鳴り返すのですが、私自身「これ(平和運動)は仕事だと思うか?」と聞かれて即座に「はい」と言えず言葉に詰まってしまったので、映画に入れたわけです。これが普通の人の感覚だと思うので。彼も「いちげんさん」に色々問われることも多いし、始めは私もそう扱われていたのでしょうけど、2-3ヶ月間通ううち、警察とのやりとりにもカメラを向けるようになったりして信頼されたと思います。始めは私も面白半分だったのですが、平和運動に対する警察の暴力がすごいのを実感します。ブライアン側は太鼓やプラカードでお祭りみたいに抗議しているのに、片やフル装備の機動隊が来て20人逮捕していく、頭から血を流しているひとがいる、騒動を始めたのは警察側なのに。民主国家でこれ?!と驚き、翌日の新聞の第一面に載ると思っていたら、全く出ず、出ても「デモ隊が暴徒化している」と。こうした実態を目の当たりにしてショックを受けました。向こうはデモ隊に向かってドーベルマンを放すし、騎馬隊まで出動します。私も機動隊に突き飛ばされて2mくらい吹っ飛びました。これは危ない、面白半分で取材していたら怪我をする、覚悟を決めなくては、と思い、私もジャーナリストになりたいなら、こうした報道されていないものをビデオカメラでやってみようと決心したのがブライアンとの出会いから2,3ヶ月後だったのです。

▶ ブライアンさんの状況を人に伝えたい、映画でやりたい、と思われたとのことですが、1年半密着取材の間に関係の変化はありましたか。

ジャーナリストに憧れていたのですが、ドキュメンタリーを作る姿勢を彼に学んだ気がします。命がけの活動を隣にいて見ていたのですから、映画の作り方にも影響を受け「覚悟すること」を学んだと思います。言葉が聞き取れない箇所もありますから、イギリス滞在中に編集し、帰国直前に小さな映画館で完成披露をし、ブライアンも気に入ってくれました。コピーを人に渡したりしていました。彼はテレビで放送されたこともあるのですが、メディアは初期だけ取り上げて、長期化するとやがて否定的なとらえ方で報道することが多いのです。断片的ではなく、彼らに張り付き映画を完成させたのは私だけだったと聞きました。

▶ ブライアンさんも昨年(2011)亡くなりますね。

私は2009年2月に帰国したのですが、その後はメールや手紙のやりとりだけでした。亡くなる半年前に肺がんが見つかり、イギリスの病院に入るのですが、イギリスはNHSの医療制度で入院は無料なのですが、彼の信頼する哲学者のDavid Ike(デイビッド・アイク)という人が近代医療を疑い、オランダの代替医療施設へ送ろうと提案しました。その病院には、医師免許のない治療者の問題などもあったのですが、結局ドイツの病院に送られ、ホメオパシーなどの代替医療を受けた後、亡くなったのです。

残念なことに、イギリスでは彼は皆で追悼されていなくて、運動はすでに分裂していました。平和運動というのは、日本でもそうでしょうけど、目指す道は一緒でもやり方はさまざまで、警察などとの対応でも穏健な人もいれば一切妥協しない人もいる。映画に登場するマリアは警察の人にもにこやかに挨拶する人であったため、やがて警察のスパイとか言われて追い出されます。しかし世話好きの彼女がいるから広場に来るという人もいたのです。マリアの追放を機に長年のサポーターの足は遠のきました。でも、彼女自身強くて、ブライアンたちから追い出されても、国会前の広場から3m離れたところに、今度は自分で活動テントを張りました。こうしてブライアンのサポーターは分裂し、日本やアメリカでは追悼上映や集会をしましたが、イギリスではいまだないのです。

▶ 今、平和活動のあり方に言及されましたが、さまざまな生き様を見、関わり方と接してこられたと思います。その中で日本人と出会いたいと思われたのですね。たまたま出会われたのですか。

そうです。私はいわばイギリスにかぶれていて日本の平和運動のことを知らなかったので、イギリスで平和運動デビューしたのです。なので、日本人の女子大生から大学でビラをまいただけで捕まるということを聞き衝撃を受けました。表現の自由はどうなっているのかと。私は撮影を完了してから編集にとりかかろうと思っていたので、それまでどう編集しようか悩んでいたのですが、その女子大生と出会って、これは日本人に見せる映画だと、まっとうなことを言っただけで変人扱いされるありえない状況を、日本人にこそ知らせたいと思うようになりました。ブライアンは、イギリス政府には排除されようとしてきましたが、市民の間では支持されていました。イギリスは、ロックの発祥の地であり、反骨精神もあるし、芸能人だって政治を語らないと頭が悪いと思われるくらいで、チャリティの活動も盛ん。でも、日本ではそれが「変な人」となる。普通に意見が言えることを当たり前にしたい、声をあげることはカッコイイ、というメッセージを伝えたいと思ったのです。

▶ 出会いを大切にされて、目的にそって人を探すのでなく、出会いを舞いこんで、引き寄せてられると思います。その後日本では?

ブライアンの映画を1年間上映しました。平和運動に縁がなかったので、新聞でイベントを探し自分でテレフォン・セールスのように売り込みをしたのです、「映画を上映してくれませんか」と。自分ではよく出来た映画だと思っていたので、平和運動に関わる人なら皆興味を持ってくれるはずだとおもったのですが、平和活動の人たちには「うちは地雷除去の活動専門です」、「イラクの医療支援なのでイギリスは..」などと断られることが多く、縦割りなのかと驚きました。むしろ市民メディアの人が「素人の映画?」とおもしろがってくれ、アワプラ(Our Planet TV)なども取り上げてくれて、徐々に口コミで広がりました。

▶ 上映をしてトークも、という小さな活動は初めからそのスタイルですか?

はい、そもそも大規模上映は声がかからないです(笑)。口コミで拡がり、上映に併せて私も呼んでくれる、そういうセットなんだな、としばらくしてわかりました。私も日本の社会運動を知りませんから、沖縄の米軍ヘリパッド建設反対運動や北海道の廃校となった小学校で開催される映画祭に行ったり、高尾山のトンネル反対運動ではツリーハウスで上映したこともあります。運動の現場へ行って、私はイギリスの状況を伝え、彼らからは日本の状況を教えてもらう、という機会に恵まれました。

映画館で遠い距離で一方的に上映するのでなく、結果的に、日本でもこんなにいろいろな活動をしている人がいるということを知れてよかったです。

▶ 日本での活動と生活のやりくりはどうですか

私は姉のところに居候していてもう4年近くになります。夕食作りや掃除を担当することで家賃や生活費が殆どかかりません、というか踏み倒しています(苦笑)。制作や上映活動にかかるお金は、ラッキーなことにブライアンがJCJ新人賞で50万円を獲得、URは山形の映画祭でスカパー賞150万円を受けたことでずいぶん助かりました。私ひとりで全ての工程をほとんど担当しているので、制作費はかなり抑えているほうだと思います。カメラマンを頼めばそれだけで一日最低1-2万円はかかってしまうでしょう。

▶ 気合いというか退路を断ってやるという覚悟を感じます。

退路を断つというのは大事で、自主制作の監督ではバイトや派遣をしながらがんばる人も多いですが、どっちも中途半端になってしまうことが多いのです。上映にも制作と同じくらいエネルギーが要りますから、折角作っても10回上映して終わりというもったいない監督もいます。

▶ 居候するという方法で自信をもって上映活動をされているのに希望を感じカッコイイと思いました。衣食住の住はあまり扱われていないので撮りたいと思われたようですが、これも出会いがあったのですか

ブライアンの上映を1年間に60回くらいして、社会問題に関わる人たちとのつながりができました。日本の社会問題の活動の年齢層の高さに驚きました。イギリスだと平和運動や気候変動の活動にしても若い人が多いのですが、日本だと貧困問題なら圧倒的に若い人が多いはずなのに、当事者がいない。正社員は過労死するくらい働かされ、非正規は安い時給で、収入の3分の1から半分を家賃にとられてしまう。これでは、問題があっても集会やデモにさえ参加できないはずだと思いました。もっと安い家賃で暮らせて、やりたい仕事や活動をし、地域のつながり、また家族との時間を大切にするには、住宅の問題が大事だと気づいたのです。

住まいの問題は幅が広くて、テーマはなかなか絞れなかったのですが、住まいの貧困に関する集会にとりあえず行き、そこで「さようならUR」に登場する高幡台団地の人に出会ったのです。この団地の立ち退きの問題を、同じ日野市民なのに知りませんでした。メディアでも少し東京新聞が紹介したくらいでした。住まいを追い出される可哀想な老人たちというイメージで彼らのミーティングに行ったのですが、意外にも笑い声が飛び交い面白かったのです。立ち退きを拒み、大家であるURから見放され、大家が提供するサービスを受けられない中で自分たちで支え合わねばならなくなりました。私はそこに自治の芽生えを見いだしたのです。子どもたちも巣立ち孤立しがちな人たちが、運動を通じて仲良くなり温泉にも一緒に行く。URの見守りサービスも受けられない中、希望する住民の間では鍵の預け合いや緊急時の病院や親戚などの情報のリストを共有する、などの工夫を自分たちで編み出して行きました。団地の自治会活動が形骸化する中で、ここでは自分たちでやらざるを得ない、世間でお年寄り扱いされてきた人たちが自力で行い、潜在能力が引き出される。URの追い出しに対抗すべく、耐震構造や建築用語を80代の人が勉強する。その方々がもともと持っていた強さに惹かれたのです。

▶ ミーティングも誰かの誕生会があったりにぎやかでしたね。

そうです。監視カメラをつければ安心安全という世の中ですが、人とのつながりが、実は一番安心安全を保証するんだなと思いました。

▶ URでは理事長を突撃インタビューするシーンが出てくるが、泣けてくるぐっとくるシーンです。

あれは6回目にやっと撮れたのです。始め3回は突撃取材のジャーナリストに指導(おまけDVDに出演する寺澤有さん)を請い同伴してもらいましたが空振りで、4回目以降は独りカメラを回しての取材となりました。6回目で理事長を直撃取材した際には、段々理事長の足が速くなり、息が切れて、カメラは揺れるし大変でした。撮影中も編集中も自分では真剣なシーンだと思ったのに、観客にとっては笑うシーンでもあるというのは、完成後に知りました。「天下りですよね?」って直接問いかけていて、皆、映画を見てそこでどっと笑うのです。天下りの人に天下りですよね、とは普通聞きませんよね。でも、誰かに言われたのですが、「真剣にやればやるほど、他人から見ればおかしい」というのも、そうだな、と思いました。

直撃取材の前、理事長への質問を80個くらい考えました。相手は国会でも答弁した元高級官僚で百戦錬磨です。恐れたのは質問が途切れて沈黙になると間抜けたものになること。シミュレーションをして臨みました。「私にも家族がいます」「警察を呼ぶぞ」とか言われたらどう答えるか、とか、走りながらも撮影できるものか、走り込んでも記録されるか、カメラを叩かれても大丈夫か、外で練習していたので近所の人に怪しまれました。

最終的に直撃取材という手法を選んだのは、URがTBSの取材には応じても、私の申し込みには応じてくれなかったためです。フリーランスなので正面玄関からは入れてくれない、という状況は、大家(イコールUR、国家)とたたかう住民と同じだとも思いました。

事前に理事長の情報収集をしましたが、理事長の顔はネットでも殆ど出てこず、困っていたら、寺澤さんが世田谷区に週刊誌の図書館(大宅壮一文庫)があると教えてくれました。そこに理事長が建設省の役人時代の記事(ノーパンしゃぶしゃぶ接待疑惑)を見つけ、本人の顔写真がいくつか出てきて人物特定の自信がついたのです。直撃取材は時間にして3分くらいのシーンですが、随分勉強になりました。UR内部のことも殆ど知らなかったので、それに詳しい人を探しました。AERAや週刊朝日などURに批判的な過去の記事を探して、編集部に尋ね、記事を書いた人を紹介してもらい調べました。フリーランスの人が多くて、皆、取材では苦労しているし、マスメディアがこういう問題を真剣に報じないかわかっているから、見ず知らずの私にほんとに親身に協力的に教えてくれましたね。

▶ URの映画では皆さんにすんなり受け入れられましたか?始めからカメラを回していたのですか。どういうふうに信頼感を得られたのですか。

住民の皆さんは、映画というと大きなカメラとか数人のスタッフとかのイメージで、私1人で映画を作るというのが、説明はしてもわからなかったようです。制作者の中には、信頼関係を作ってからカメラを回す、という人もいますが、私は始めから回します。カメラはいずれにしてもずうずうしいものだと思うし、1年や2年で関係を作ったと思えてもそれは結局浅いものでしょう。相手に興味は持ちつつ、偏見もあるような…そうした最初の距離感というのは最初しか撮れないものだとも思います。

▶ 最初のころと終わりと取材中に変わりましたか?

やはり、まずご飯を一緒に食べる前と後では違ってきます。インタビューがたとえ1時間でもご飯を食べるとぐっと距離が縮まります。取材先で「おなかすいてんの?」と言われ、冷やし中華を作ってもらったり...。(笑)

▶ それはジャーナリズムの対決姿勢とかキーワード探したり、とかいうのと違いますね。上映活動でも相手方の運動にエンパワーされたり、一方的ではないですね。

そうですね、これはジャーナリズムというより、なんなのでしょう、どういう形態だろう...

▶ 撮影中に早川さん自身が変わってこられた点は?

突撃取材は後半ですが、撮影を通じ、住民の皆さんが一生懸命されているなら私もやらなきゃ、向き合わなきゃ、と腹を決めたことです。ブライアンはイギリスの話でしたが、URは今の日本の問題で、しかも裁判に間に合わせたいと思っていました。係争中の案件を映画にすることは、私も業務妨害のようなものに問われるリスクがありましたが、それでも映画にしようと覚悟を決めたのです。ブライアンの時は自主映画制作者という肩書きを名刺に入れていましたが、このURの制作途中で肩書きを「ドキュメンタリー映画監督」と変えました。私も引き受けるんだ、責任をもってやっているんだ、覚悟があります、と示したかったのです。

▶ 映画が完成して住民の人たちの感想はどうでしたか?

基本的に気に入ってくれました。最初は「こんな場面使ってるの?」という感想もあったけど、「拳ふり挙げてるよりこういう日常がいいのかも」と..。そして、(映画に登場する)あの大学の先生に憤慨したり...。あの教授はURの民営化検討委員で、今の原発問題でも東電の電気料金を決めたりする委員会の座長をしたり、増税とか公共料金や民営化の問題などでどんどん政府側に重宝されている人です。なめらかに喋っていてなるほど、と思わされますが、丁寧に答弁する官僚や政治家の裏で原稿を書いているのがどういう人なのか、ぶっちゃけた語り口にうかがうことができます。実は、私は学生時代、この安念先生の教え子で、大学の500人位の大教室で「憲法」の授業を受けていたのです。今から思うと、この先生の人権感覚ってどうなのか?って思いますけど(苦笑)。電話で取材を申し込む時、「先生の教え子で『URの民営化』について調べています」と言ったら、「ご無沙汰しています。お元気ですか?」とか、私のことを覚えているわけないのに、先生も調子が良くて。URの民営化の話を聞きに来るなら当然、私が民営化に賛成だと思い込んで彼は話していて、インタビュー中は私の方も一切73号棟の話題には触れませんでした。 完成品を見てびっくりしたかもしれませんね。完成後DVDを送りましたが、いまだに感想は届いていません。

あの先生は本当にキャラが立っていて、「UR対住民」というより、「先生対住民」という感じでしたね。

▶ 他にも弁護士さんとか、インタビューのセレクトは、撮りながら次はこういう人とか決めていったのですか?

実は、裁判に間に合わせようと逆算すると半年くらいしか制作期間がなくて、大急ぎで思いつく人にどんどんインタビューをさせてもらいました。でも始めてすぐに、これはURの問題を超えて「国家のこと」だと思ったのです。70代、80代の住民の方が、満州で生まれたりあるいは沖縄戦に巻き込まれたりして、戦後は高度経済成長を支え、やっと落ち着いたら住む所を失うという。そのときの国家の政策や状態に、個人の人生と住まいが翻弄されている。住居は自助努力とか言われるけれど、実は国の戦争や住宅政策などの大きな流れに振り回されているのではないか、と。住居を「国」から捉えようと、いろいろな人、大臣や蓮舫(事業仕分け場面)なども映画に盛り込みました。

▶ 「住」のことをテーマにしながら、「国」のことを扱っているというのは撮りながらそうなったのですか?

そうです。ブライアンの映画のことも思い起こすと「国に向かっているひと」に興味があるのだな、と思います。二作撮って比べるとそういう所があるみたいです。今後も表面的には色々なテーマを扱うと思いますが、「おかしいと思うことをおかしいと言う普通の人」というのを撮っていきたい。出会い、機会があったら撮りたいです。

▶ 最近配信の福島の女性の木田さんも、そうした「おかしいことに声を上げる」人と思いますが、どこで出会われたのですか?

福島の女性たちが「女たちの一票一揆」という院内集会をしていて、「女性の国会議員をふやそう」、「女性目線での政治とは」と、6月から月一回集会をしていました。私はその集会の撮影を頼まれ、8月から毎月カメラを回しDVDに焼いて主催者に渡していました。急遽、総選挙が現実となって、その集会で木田さんが「新橋でサラリーマンに脱原発を訴えたい」と発言し、「これはビジュアル的にも面白そう」と興味を持ち、新橋抗議活動の前に自宅(現在水戸在住)でインタビューしました。総選挙に際し、ここで原発問題を盛り上げなかったらいつ盛り上がるのかと思い、動画をネットに載せたのです。私なりの選挙活動として。

木田さんは息子さんが原発で働いているということもあって、ネットやフリーのライターの目には留まり取材されてきたのですが、どうしても原発労働者の母という構図が焦点でした。でも、私はダンナさんとの関係が一番すごい、と思ったのです。ダンナさんとの関係なんて視点では、彼女はこれまでに取り上げられなかったと思いますが、私は30分の動画のうち3分の1を彼女の起こした、それこそダンナさんに対する「一揆」に割きました。(活動に忙しくて)ご飯を炊いてなかった、と夫とけんかになるシーンなど、男性のジャーナリストなら大したこととは思わないでしょう。でもこれは大問題なのです。「ご飯くらい自分で炊いて、漬け物で食べろ」って言うところ。力がわき上がってきた瞬間を感じました(笑)。床に投げつけたつもりのゴミ箱が間違ってお父さんの頭にぶつかるところとか、笑ってしまいますよね。彼女はバスガイドをしてきた人なので、ユーモアを交えて語りかける、もともとそういう潜在的な才能も持っているのかもしれません。

▶ ユーモアというのもキーワードですね。

そう、訴えるにしても、今はサウンドデモとか、鳴り物などでデモに馴染みのない人でも入りやすいものになっています。鉢巻きして、シュプレヒコールを、という拳振り上げ型では入りにくいですよね。

▶ 若い世代、特に女性に対して、感じることや言いたいことは何ですか?

まず、自分の思っていることは言っていいんだ、ということです。「変じゃないかな、浮いちゃうかな」じゃなくて、やりたいことを追求してほしい。好きなように生きていってほしい。まず希望を持って、それを実現するにはどうしたらいいか、という順序の発想を持つこと。そうすることでいろいろな工夫やアイデアや智恵が出てきます。駄目かなあ、無理かも、というのでなく「やる」のが前提ということです。

これは若い人だけに言いたいことではありません。木田さんのように50代後半とか60代、高幡台の人たちは70代以上ですが、何かのきっかけで強くなるひとがいます。そういう人の場合、その強さは若い人の比べものにならない。きっかけは何でも、何歳でも、しぶとくチャンスに変えて逞しくなっていく人が好きです。

▶ 自分の生き方を考える中で、海外とのつながりを考えたり、国際的な活動に携わりたいという人へのメッセージがありますか?

海外では細かいことに拘らなくなりますね。日本では細かい違いが気になりますが、海外ではあまりにも皆が違いますから。そして自分の意見は口に出さないと、言葉にしないと理解してもらえない所も日本と異なりますね。日本だと言葉にしなくてもなんとなく...。逆に日本では言葉に出すとぎくしゃくする、とか。私は日本でも意見を言うようにしています。しかし日本人も変わってきました。いろいろな価値観が出てきて、同じものを共有するという感覚が薄れてきてはいますが。海外はもちろん、日本でも上映先や取材先でいろいろな人に会い、自分の考えを言葉に出し、相手の意見も聞いて話し合うことが大事だと思っています。

▶ まだ、自分の表現手段を探しながら見つけていない若いひとに何かメッセージはありますか?

私のところにも映画に興味があるという人が来ますが、始めから完璧を目指していて、機材や専門学校のことやら尋ねてきますが、私自身カメラの回し方をきちんと学んだことはないし、YouTubeで60本ぐらいの短編動画を作り、撮影と編集の仕方を独学で学んできました。イギリスの下宿では国際色豊かでしたから、たとえばブラジル人の料理の様子とかも撮るのですが、これが結構むずかしい。右手でお鍋をかき混ぜているから左側から撮らないと鍋の中が良く見えない…、とかやりながら勉強するのです。

考えすぎずにやってみるしか上達する方法はありません。撮影して編集にとりかかってから、もっと風景映像も撮っておくべきだったとか、足りないことに気づきます。だからプロのカメラマンでも編集に立ち合わないカメラマンは上達しないとも聞いたことがあります。それと、人に見せること、見てもらうことを意識してやることです。今はYouTubeなどを使いながら表現力を磨くことが出来る時代になったと思います。

▶ イギリスのジャーナリズムの学校での勉強はどうでしたか

そこはフリーランスのジャーナリストを養成することに主眼を置いた学校でした。日本だとそういう学校は聞いたことがなくて、新聞社に入り先輩について警察回りから始まる、というのが普通です。イギリスのは、ほんとにしっかり技術を身につけさせてくれる学校でした。入学式で校長が言ったのが「皆さん、取材対象を守るためには、牢屋に入る覚悟をして下さい」でした。勉強の3分の1は法律の勉強です。会社はあなたを守ってくれない、守ってくれるのは法律です、と。イギリスだって、核心にふれた報道をすると、会社は会社の権益を守るために、記事を書いた記者をトカゲのしっぽ切りのように見捨てることもある。自分の身を守るために法律を勉強するのです。幸い日本でも法学部だったので、法律の条文を読むのにアレルギーはありませんでした。むしろ英語の法律は、日本語に比べ言葉がはっきりしているので、読みやすいぐらいでした。

授業ではたとえば、首相のスピーチ原稿を5分間で読んで、ラジオ用、全国紙用、地方紙用、タブロイド紙用、と書き分ける練習とか。誰に向かって、どの媒体で伝えるかによって、全て言葉の使い方や強調するポイントが違ってくるわけです。そんな実践的な勉強もしました。

2週間に一回、3本の記事を書く課題が出されました。ニュースとか特集記事とか。これを毎週30分、先生が個人面談でチェックしてくれました。そして在学中から新聞社に応募して記事が採用されたら就職活動に有利になるので、外国人で言葉にハンデのある私にも全く区別なく励まして応援してくれました。「あなたはこのトピックが得意だから、こうしたら..」「この新聞社はきっとこの記事気に入るよ」とか、とても励ましてくれるのです。だから自信がついてがんばろうという気になりました。

卒業試験は延べ8時間、4科目ありました。一つの科目に設問が20個くらいあって、回答は回答欄が用意されておらず、先生の机に山積みの白紙を好きなだけもらって来て、書きたいだけ書くのです。解答欄の大きさから、(大体これぐらいのことを書けと期待されているんだろうな)と推測する、日本の教育方法で育った私は、白紙で無制限の解答用紙に戸惑いました。

日本ではこういうフリーランス向けの教育はなかなかありませんね。どこか新聞社や雑誌社などで働いたあとフリーになる人が大半です。

言葉のハンディはありましたが、クラスメイトの中にはイギリス人でも卒業出来ない人もいました。日本の中ではおおざっぱでいい加減なほうの私でも、やはり私も日本人なのか、遅刻せずきちんとノートを取り、大半のイギリス人学生より真面目に勉強していたように思います。絶対卒業しなきゃ、という気合いも入っていましたし。学校に通いながら、同時にブライアンの映画も撮っていたし、そう言えば超大変、忙しかったですね。

▶ 日本には失敗できない、恥ずかしいという文化があるし、今の若い人たちは就職も厳しく守りに入っている感があります。

今の大学生と話をすると、保守的だなと思います。私が同年代だった頃の話をすると、10代の女の子に「そんなで大丈夫ですか?」と心配されたり(笑)。ただ、一般的に男性に比べ、女性は立場にしがみつくことも少なく潔いですね。いざとなれば本能的に動ける人が多い気がします。女子大で講演した時、大企業社員のお嫁さん願望や専業主婦が夢という学生にも会いました。その時、私は彼女たちに向かって「女性が相手を選ぶ時の大事な基準は年収や職業だけではありません。何かやりたいことがある女性の場合、女性の活躍を妬まない人を選ぶことが大事です」と言ったのですが、キョトンとされてしまいました(笑)。会社でも、男性社員は女性が新人のときはかわいがってくれます。しかしその女性がやがて能力を示し始めると、今度は足をひっぱってくるのです。男性の嫉妬心は、ある意味女性よりすごいです。気持ちよく、心から女性の活動や活躍を応援してくれる人、それが無理なら、少なくとも邪魔しない人を選ばなくては、と。それが、これから社会で活躍したいと思っている女性たちへ、私からのアドバイスです。しかし、木田さんのように後から教育するケースもありますね(笑)。