権力者の便利ツール?!~「建造物侵入罪」を考える(2021/04/05 早稲田あかね・イベントレポート)

突然ですが、皆さんは「建造物侵入罪」と聞いて、どんな犯罪を想像しますか?

 

刑法130条では、「建造物侵入罪」(住居侵入等)について、以下のように規定されています:

 

「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。」

 

私ならば、「建造物侵入」と聞いてすぐに思い浮かべるのは、「盗聴器を仕掛ける目的でビルに侵入した」とか、「強盗をする目的で深夜のコンビニに押し入った」というような事例です。

 

では、「誰もが出入りできるテナントビルに入り、エレベーターで6階まで上がって、何もしないで1階まで下りてきた」という事例はどうでしょうか? この行為も「建造物侵入”罪”」なのでしょうか??

 

先月5日、早稲田の交流バー「あかね」で、この「建造物侵入罪」に関するイベントが開催されました。今日は、このイベントレポートをもとに、実は身近(?)な「建造物侵入罪」について考えたいと思います。

 

イベントの告知文(画像はあかねの公式ツイッターより)

 

 

■事件の概要■(飯塚早織さん(仮名)のお話をもとに)

 

2020年8月3日午後4時30分ごろ、5名の男女が名古屋国際センタービルの前にいた。ビル前の路上(公道)で、うち2名が空襲警報を鳴らしながら「あと3日で新型爆弾が落ちる!」と演説をした。飯塚さんを含むほか3名はビル内に入り、エレベーターと階段を使って6階に上がった。

 

名古屋国際センタービルは、名古屋市中村区にある公共施設で、レストラン街もあり、誰もが立ち入ることのできる施設だ。3人の目指した6階には「在名古屋米国領事館」がある。

 

彼らは6階に到着した。1人は常駐する警官の職務質問を受けたが、黙っていた。飯塚さん以外の2人は、6階フロアの通路部分にビラを落とした。ビラには、原爆のキノコ雲とみられる写真と「Evacuate the US Army from Japan right now.」(アメリカ軍は今すぐ日本から撤退せよ)という文言が印刷されていた。

 

ビラを落とした後、彼らはすぐ1階に降り、ビルから立ち去った。ビル前での演説などもせず、すみやかに現場を離れた。

 

一連の行動に要した時間は、5~7分程度であった。

 

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事件の概要については、ほかの当事者の方々も、それぞれの立場から書いてネットで公開しています。

 

〇東8番(室伏良平)さん「米國領事館でまた會ひませう」(⇒こちら
〇首塚織部さん「名古屋米領事館 白仮面事件、当日のながれ(ペンギン図解)」(⇒こちら

 

さて、初めに紹介した「あかね」のイベント告知にもあるように、この件に関わった飯塚さん含む5名全員が、建造物侵入罪で逮捕されました。飯塚さんは逮捕時の状況について、次のように語りました。

 

■逮捕・家宅捜索■

 

事件に関わった5名のうち、飯塚さんだけが東京在住だった。逮捕が行われたのは、事件から3ヶ月以上が経った、2020年11月18日の早朝。その時、飯塚さんは自宅にいて就寝中だった。

 

ドンドンドンと激しくドアをたたく音がしたが、当時、飯塚さんのインターホンは電池が切れていた。まさか警察が押しかけてきているとは思いもしなかった。夢もしくは気のせいだろうと思い、そのまま寝ていた。

 

その後、目を覚まし、出勤のために身支度を整えてドアを開けたところ、警官たちが飯塚さんを待ち構えていた。

 

突然捜査令状を見せられ、家宅捜索が始まった。令状には、「名古屋アナキズム研究会突撃隊」に関する捜査であると書かれてあった。

 

「名古屋アナキズム研究会突撃隊」…!

 

飯塚さんは、そもそも上記突撃隊の構成員ですらない。この時点では、まさか自分がその後1カ月も勾留されることになるとは、想像もしていなかった。

 

家宅捜索の際、飯塚さんは警察から「今日一日、仕事には行けないと思ってください」と告げられた。なぜ?と聞き返すと、「あとでお話しします」と答えるのみ。

 

飯塚さんの自宅からは、8月3日に着用していた白い仮面や衣服・アクセサリー、スマートフォンが押収された。

 

家宅捜索後、飯塚さんは自宅外の警察車両に誘導された。車内で初めて逮捕令状を見せられ、その場で逮捕された。

 

逮捕状には、飯塚さんが他の4名と共謀し、ビラを撒く目的で名古屋国際センタービルに侵入した容疑だと書いてあった。罪名は「建造物侵入罪」。

 

飯塚さんを逮捕した警察は、愛知県警だった。総勢8名もいた。彼らの話しぶりによると、少なくとも前日までに東京入りし、飯塚さんの行動確認をしていたようだった。

 

飯塚さんは愛知県警の警察車両で、高速道路を使って愛知県中村警察署へ運ばれた。その後、名古屋市北区の女子留置施設へ移送され、逮捕の翌日には勾留延長となった。

 

飯塚さん以外の4名も、同日に一斉逮捕された。

 

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逮捕の翌日、2020年11月19日の名古屋テレビでは、事件は以下のように報道されています。

 

「名古屋の米国領事館のビルに侵入容疑で男女5人逮捕 仮面つけビラをまく」

 

ビラをまく目的で名古屋の米国領事館があるビルに不法に立ち入ったとして男女5人が逮捕されました。

 

建造物侵入の疑いで逮捕されたのは、愛知県半田市の会社員、室伏良平容疑者(30)ら25歳から48歳の男女5人です。

 

警察によりますと5人は、共謀して、8月3日の午後4時40分ごろ、米国領事館がある中村区の名古屋国際センタービルの6階に侵入した疑いが持たれています。

 

室伏容疑者ら3人は、仮面をつけるなどして6階の通路で原爆によるキノコ雲とみられる写真が載ったビラ約90枚をまき、他の2人は、ビルの近くで街宣活動をしていたということです。

 

ビラには、「今すぐ、日本から米軍を撤退させろ」などと書かれています。

 

警察の調べ対し、室伏容疑者は、「警察の作文の内容についてコメントすることは、ない」と供述しています。

 

=====(引用終わり)

 

飯塚さんは、名古屋市北区の女子留置施設に勾留され、その後、起訴されるまでの20日間に渡り、取り調べを受けました。施設ではどのような生活を送り、取り調べはどのように行われたのでしょうか?

 

■留置施設での生活■

 

女子留置施設では、最初は独房だったが、その後3人部屋に移された。なんと、3人で3畳しかない極狭のスペースだった。

 

施設が満室になっているわけではない。ただ、管理者側が管理しやすいように、一室にまとめられたようだった。

 

「コロナのため」ということで、常に部屋の小窓が開いていた。11月下旬だったので、かなり寒い思いをした。

 

部屋の中で、ほかの人たちと雑談でもしようものなら、すぐに看守が飛んできた。小さな声で世間話をしても恫喝された。

 

食事は大体お弁当で、袋パンのこともあった。

 

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留置施設の環境について、イベントの参加者からは「1人1畳なんて、素晴らしい人権感覚w」、「容疑が確定していない人にその扱い?!」、「私語禁止というなら、別々の房に入れりゃいいだろw」といったツッコミが寄せられました。

 

■取り調べについて■

 

取り調べは、日曜日を除いて毎日行われた。飯塚さんは取り調べに対し、最初から「事件については黙秘する」と刑事に伝えていたので、事件については何も話さなかった。

 

しかし、刑事もあきらめない。事件とは関係なさそうな「雑談」から、飯塚さんの行動歴や交友関係、思想を探っていこうとする。例えば、「どんなところに旅行に行った?」⇒「沖縄の辺野古(米軍基地移設反対の座り込みのため)」、「黒川杯に参加した?」「麻雀は打った?」など(黒川杯とは、新聞記者らとの賭け麻雀を週刊誌に報じられ辞職した、黒川弘務・元東京高検検事長にちなんだ賭け麻雀大会のこと)。

 

今から思えば、雑談に応じるのも危なかったと感じる。

 

取り調べの時間は、毎日1時間半程度に過ぎなかった。なぜなら、そもそもこの事件自体が複雑な・広範囲に及ぶものではないし、同時に逮捕されたほかの人たちの中には、事件について話し始めていた人もいて、刑事は事件の情報を得ていたからだ。

 

結局、飯塚さんは事件について何も話さないまま、20日間の取り調べを終え、起訴されてしまった。

 

同時に逮捕された5名のうち、ビル内に入らなかった2名は「起訴猶予」となった。ビル内に入った3名については、うち1名が略式起訴で罰金10万円、2名が起訴となった。

 

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この展開について、私を含め、イベントに参加した人たちからは疑問の声が上がりました。ビル内に入らなかった2名が起訴されなかったというのは分かる(といっても、不起訴ではなく起訴猶予ですが)。でも、なぜ飯塚さんはビラも撒いてないのに起訴されたのか?と。

 

それには、「建造物侵入罪」がどんな要件を満たせば成立するのか、これまでどのように使われてきたのかを知る必要があります。

 

■「建造物侵入罪」成立の要件■

 

事件の舞台となった「名古屋国際センタービル」は、上述した通りレストラン街もあるテナントビルです。誰でも自由に出入りすることができる施設です。

 

飯塚さんたちが上った6階には「在名古屋米国領事館」がありますが、飯塚さんたちは領事館の中には入っておらず、6階エレベーターを降りてすぐの場所(通路=共有部分)までしか立ち入っていません。

 

なので、今回の事件の場合、「在名古屋米国領事館」は関係なく(利害関係者ではなく)、「名古屋国際センタービル」の管理者(株式会社第一ビルディング名古屋支店)の意向・意思が重要となってきます。

 

「名古屋国際センタービル」は誰もが自由に出入りできる場所(半ば公共の場所)ではあるものの、所有者や管理者の「意思」に反する目的で入ったとなれば、「建造物侵入罪」成立の要件の一つを満たすことになるのです。

 

普段、あまり意識することはないかもしれませんが、様々な場所に何らかの貼り紙や掲示が貼ってありますよね? ここで販売・勧誘行為をするな、楽器の演奏や演説をするな、ビラを撒くな、ボール遊びをするな、長時間居座るな…等。

 

もし、建物所有者や管理者の意思に反して何らかの行為が行われ、所有・管理者が警察にその被害届を出せば、その行為を行った者は「建造物侵入罪」として逮捕される可能性があるのです。

 

ただ、実際に有罪にまでなるかどうかは、「故意があったか」(禁止されていると知りつつ行ったか)、「退去の要請に応じたか」、「罰さなくてはならないほど悪質な行為か」、「実際に被った被害の大きさ」なども考慮されます。

 

今回の事件の場合、「名古屋国際センタービル」の管理者(株式会社第一ビルディング名古屋支店)が警察に被害届を出し、事件化しました。

 

飯塚さんについては、「ビル内で<ビラ撒き禁止>という掲示は見ていない」、「ビル内でビラを撒いても落としてもいない」とのことですから、「故意」「行為」の部分については争う余地があるように思えます。

 

しかし、取り調べで事件について黙秘し、他の共犯者とされる人たちの供述をもとに起訴されてしまったので、裁判では検事から「ビラ撒き禁止というのぐらい、常識でわかるだろう」(!)と指摘され、「共謀しビラを撒く目的でビル内に入った」とされ、最終的には有罪になってしまいました。

 

事件について何も話さなかったら、起訴⇒有罪になるなんて、ずいぶん雑で乱暴な話ですが!!!

 

ちなみに、以下は実際の起訴状を、個人情報を一部伏せた形で再現した画像です。(提供:飯塚さん)

 

 

最下段の「罪名及び罰条」部分、刑法第130条前段は「建造物侵入」、第60条は「共同正犯」(条文:「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする」)のことです。

 

■チラシの内容は無関係?■

 

今回の事件について詳細を聞きながら、私にはひとつの疑問がありました。世の中で、おそらく一番大量に配布されているチラシ・ビラ類といえば、それは「ピザ屋の宅配」でしょう。

 

以前わたしは、住民以外の立ち入り禁止、ポスティング禁止と大きく書かれたアパートに住んでいましたが、ピザ屋のチラシはお構いなしに投函されていました。しかし私の知る限り、ピザ屋のチラシで建造物侵入罪(いわば「ピザーラ弾圧事件」)というのは、これまでに聞いたことがありません。

 

一方で、2004年の「立川反戦ビラ配布事件」(反戦ビラ配布の目的で立川自衛隊官舎内に立ち入った3名が、住居侵入罪の容疑で逮捕・起訴された事件。最高裁で上告棄却、高裁の有罪判決が確定した)や、古くは1976年の「吉祥寺駅構内ビラ配布事件」(狭山事件の被告を支援する集会への参加を呼び掛ける目的で、吉祥寺駅構内でビラ撒き・情宣活動を行ったとして逮捕・起訴された事件。最高裁で上告棄却、高裁の有罪判決が確定した)など、いわゆる左翼的な市民活動に関連するビラは、逮捕・有罪となっています。

 

なぜ、ピザーラのチラシはセーフで、反戦・反米や冤罪を訴えるチラシは「建造物侵入罪」に問われるのでしょうか? そこにはチラシの「内容」が関わっているとしか、考えようがありません!

 

その点についてイベントで発言したところ、イベントに参加していた諸先輩方より回答を得ることができました。

 

実際には、当然ビラの内容で逮捕するかどうかを判断しているが、建前上・形式上は「ビラの内容は問わない」としている、と。つまり、ビラの内容を問えば、政治弾圧・思想弾圧になりかねないので、ビラの内容には踏み込まず、建物の所有者・管理者の意思に反して立ち入ったという「行為」のみで検挙しているのだ、と。

 

過去の判例では、裁判所の判断は:

 

・「表現」そのものは処罰しない
・表現をするための「手段」が、建物所有者・管理者の意思に反する立ち入りなので処罰する
・だから「表現の自由」とは関係ない

 

という理屈(屁理屈)です。今回の事件だけでなく「立川反戦ビラ配布事件」でも、ビラの内容は問われませんでした。

 

「建造物侵入罪」を杓子定規に適用するならば、ビザ屋のチラシも、不用品回収のチラシも検挙することが可能です。しかし実際には、それらで逮捕されることはまずありません。「建造物侵入罪」は、警察(権力)が恣意的に運用できてしまう、かなり危険なツールでもあるのです。

 

これでは、警察に狙われたら最後、高確率で逮捕・有罪となってしまいそうですが、飯塚さんはどのように裁判をたたかったのでしょうか? イベント後半では、飯塚さんの裁判について語られました。

 

■裁判について■

 

飯塚さんは逮捕後、まず国選弁護士と5~6回面会した。飯塚さんいわく、これは名古屋独自の文化なのか、弁護士同士は連携しないという方針が多いそうで、飯塚さんを担当した弁護士も、ほかの共犯者の弁護士とは情報共有をしなかった。

 

飯塚さんには「接見禁止」の条件が付いていたため、弁護士以外と面会することができなかった。その弁護士は、救援団体との連携・連絡さえも断っていたので、飯塚さんは非常に孤立した状態に置かれた。

 

(弁護士同士が連携しないという点に関しては、その弁護士は少年事件を多く担当している人だったため、「悪い仲間との縁を切れ!」という側面もあったという。また、自分が担当する被疑者の利益の最大化だけを獲得目標にする…という考え方をする弁護士もいるため、これが一概に良い・悪いとは言えない)

 

接見禁止の条件と、他弁護士や救援団体とは連携しないという弁護士の方針のため、飯塚さんは情報共有ができず、孤独なたたかいを強いられた。明日の取り調べはどうしよう? どういう態度でのぞめば良いのだろう? 毎日、自分で自分の身の振り方を考えるしかなかった。

 

その後、国選弁護士から、救援団体が派遣した私選弁護士に担当を変えてもらった。それ以降、弁護士を通じてやっと飯塚さんは外部の情報を得られるようになったのだが、もたらされる情報は飯塚さんをさらに悩ませることとなった。

 

5人の一斉逮捕以降、この事件に関連して複数の救援団体が立ち上がった。ネット上で確認できるだけでも、「なりゆき救援会」、「名古屋アメリカ領事館事件救援会」、「自称・救援会」の三団体がある。

 

別に、複数の団体が存在しても構わないわけだが、問題はこれらの団体が対立し、救援体制が錯綜・分裂したことだった。

 

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「救援がもう少しまとまれたら良かったのですが…」と、飯塚さんは言葉少なに語りましたが、分裂をうかがわせる様子は「なりゆき救援会」の救援経過報告からも読み取れます。

 

その後、飯塚さんは2020年12月8日に起訴、同月17日に保釈され、裁判は2021年1月27日に開かれました。裁判で、飯塚さんは無罪を争いませんでした。つまり、罪を認めたのです。

 

私は、事件当時の飯塚さんの状況を聞いたとき、(無罪を争えるのでは?)と思っていました。

 

なぜなら、飯塚さんは、今回の計画(名古屋国際センタービルに入り、6階のフロアでビラを撒く)について、詳細を事前に知らなかったと言います。8月6日の原爆投下の日を意識して、ビル前で反米の街宣を行う程度だろうと思っていたそうです。その後、結局ビル内には入ったものの、ビラ撒きを禁止する掲示は見ていませんし、ビラを撒いてもいません。無罪を主張することは、十分可能だったのではないでしょうか??

 

なぜ罪を認めたのか、飯塚さんはその理由を語りました。

 

■無罪を争わないという決断■

 

すんなりと決断したわけではない。最後までずっと考え、悩みぬいた上での決断だった。

 

無罪を争わないと決めた理由はいくつかある:

 

ひとつは、自分は事件について黙秘していたが、他の共犯者の供述により、自分が有罪になるだけの証拠が揃ってしまったということ。これだけ不利な土俵で、無罪を主張して果たしてどこまで争えるのか?

 

もうひとつは、自分は「共犯者」という立場であるということ。主犯者が罪を認め、争っていない状況で、共犯者の自分だけでどれだけたたかえるのか?

 

それでもなお、自分だけは罪を認めず、争う道だってもちろんある。

 

しかし、罪を認めず争うには、その後の長い裁判闘争をたたかう覚悟が必要だ。今回、幸い仕事を失わずにすんだ。この事件の舞台は名古屋だ。裁判のたびに仕事を休み、名古屋まで通う…その経済的・精神的負担はかなり大きい。

 

悩んだ末、無罪を争うことはせず、裁判は一回で結審した。

 

判決は、2021年2月18日に言い渡された。検察側の求刑通り、主犯の室伏さんは懲役6カ月(執行猶予3年)、飯塚さんは罰金10万円、両名に訴訟費用の負担が言い渡された。

 

控訴期間中、飯塚さんは控訴するか悩んだが、正直、一審の裁判まででひどく傷心・消耗し、疲れ果ててしまっていた。一人でたたかおうと立ち上がる気力が湧かず、控訴を断念した。

 

二人とも控訴せず、判決は2021年3月5日に確定した。

 

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■判決内容■

 

確定した判決は以下の通りです。(判決文提供:室伏良平さん)

 

主文

 

被告人室伏良平を懲役6月に,被告人飯塚早織(仮)を罰金10万円にそれぞれ処する。
被告人飯塚早織(仮)においてその罰金を完納することができないときは,金5000円を1日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。
被告人室伏良平に対し,この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予する。
訴訟費用のうち,被告人室伏良平に関する国選弁護人に関する分は同被告人の,被告人飯塚早織(仮)に関する国選弁護人に関する分は同被告人の負担とする。

 

理由

 

(罪となるべき事実)
被告人両名は,××××と共謀の上,正当な理由がないのに,令和2年8月3日午後4時40分頃,株式会社第一ビルディング名古屋支局長××××が看守する名古屋市中村区那古野1丁目47番地1号名古屋国際センタービルに,同ビル1階西側正面出入口から侵入した。

 

(証拠)※括弧内の甲乙の番号は証拠等関係カードにおける検察官請求証拠の番号を示す。
・被告人両名の各公判供述
・××××(×××,××)及び××××(×××,××)の各検察官調書謄本(いずれも請求除外部分を除く。)
・××××(××),××××(××,請求除外部分を除く。),×××(××,請求除外部分を除く。),××××(××,請求除外部分を除く。)及び××××(××,請求除外部分を除く。)の各警察官調書
・実況見分調書(××),捜査報告書(××,×,×,×,××,ないし××),写真撮影報告書(××,××,××)

 

(法令の適用)
罰条 被告人両名につき いずれも刑法60条,130条前段
刑種の選択 被告人室伏につき 懲役刑
被告人飯塚につき 罰金刑
労役場留置 被告人飯塚につき 同法18条
刑の執行猶予 被告人室伏につき 同法25条1項目
訴訟費用 被告人両名につき いずれも刑事訴訟法181条1項本文(負担)

 

(量刑の理由)
被告人らは,原爆を投下したアメリカ合衆国に対する抗議活動として,在名古屋米国領事館が所在する名古屋国際センタービル内に侵入してビラを撒こうと考え,本件犯行に及んだものであるが,政治的表現活動としてなされた行為であるとはいえ,上記ビルの管理者の意思に反し,かつ,その平穏をも害する迷惑な活動であって,社会的相当性を逸脱した違法な行為といえるから,処罰は免れない。

 

被告人飯塚(仮)は,前科がなく,被告人室伏に誘われて別の共犯者の連絡役として同被告人と共に前記ビルに侵入しており,犯行を主導したわけではない点で,罰金刑を選択するにとどめ,主文の罰金刑に処するが,被告人室伏については,令和2年1月に公務執行妨害罪により罰金刑を受け,その後わずか役7か月後に本件犯行を主導するなどしているから,犯情は悪く,今回は,執行猶予を付するとしても主文の懲役刑に処するのもやむを得ない。
(求刑−被告人室伏につき懲役6月,被告人飯塚(仮)につき罰金10万円)

 

令和3年2月18日
名古屋地方裁判所刑事第1部
裁判官 山田耕司

 

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裁判終了・判決確定から2カ月以上たった今も、飯塚さんにはやりきれない思いが残っているそうです。

 

裁判の中で、飯塚さんは検事の発言にショックを受けました。今でもはっきり覚えているのは、今回の事件について「ビル管理者の権利を侵害する悪質な行為だった」、「ビルの管理者も厳しい処罰を望んでいる」、「被告人室伏は前科があり、規範意識に著しく欠けた人物である」、「被告人飯塚も同様に悪質で、再犯の恐れあり」などと言われたこと。

 

まともに捜査をせず、根拠のない理由に基づいて、でたらめな文言を並べている…。飯塚さんがまるで室伏さんの”ついで”のように、「悪質な人物」「再犯の恐れあり」と決めつけられたことが、何よりもショックだったそうです。

 

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罪を認めるのは納得ができないけれど、裁判をたたかうのも大変…。

 

その過酷さを、実感を持って証言する方が、この日のイベントに参加されていました。フリージャーナリストの藤倉善郎さんです。

 

■5分の立ち入りで、2年半の裁判!■

 

藤倉さんは、2004年から「カルト問題」の取材を始め、2009年にカルト問題専門のニュースサイト「やや日刊カルト新聞」を創刊し、特に「幸福の科学」関連の取材に力を入れてきました。

 

2018年1月、幸福の科学の一般公開施設「初転法輪記念館」(東京・西日暮里)に取材目的で立ち入ったところ、同年6月に「建造物侵入罪」で起訴されてしまいました。

 

事件・裁判の詳細は、支援団体(「幸福の科学取材で刑事被告人にされた藤倉善郎氏を支える会」)のホームページ(こちら)をご覧いただければと思いますが、驚くべきは、たった5分間の立ち入りで、その後どれだけの時間と労力を費やすことになるのかということでした。

 

藤倉さんの裁判は、公判前に「公判前整理手続」が行われました。公判前整理手続きとは、第一回公判期日前に、裁判における事件の争点および証拠を整理する準備手続のことです。裁判員制度に伴い、2005年の刑事訴訟法改訂で導入されました。

 

「一般公開施設に取材目的で5分間立ち入った」というだけの事件で、公判前整理手続きは、2年間、合計22回も開かれたのだそうです!(イベント参加者からは「どんだけ凶悪犯なんだ?!」と驚嘆の声)。

 

2年に及ぶ公判前整理手続を終え、やっと2020年12月から東京地裁で公判が始まりました。約2カ月全6回の審理を終え、一審判決は2021年3月15日に言い渡されました。

 

一審は、罰金10万円、執行猶予2年の有罪判決!!!!

 

藤倉さんは判決を不服として控訴しました。今後、この事件は高裁で争われることになります。

 

藤倉さんの裁判には、弁護士8人からなる弁護団が結成され、弁護団会議はこれまでに70回以上も開かれました。公判前整理手続に22回、地裁公判に7回…と、100回以上も弁護士の方々に足を運んでもらったことになります。

 

弁護士報酬を除いても、これら、交通費の実費や膨大な資料のコピー代などだけでも、おそらく数百万円はかかっているでしょう。これでは「建造物侵入罪」の罰金10万円をはるかに超える出費です。

 

「罪を認めず争う」の過酷さよ!!

 

ちなみに、藤倉さんの場合は市民活動ではなく、「取材・報道」目的での立ち入りです。藤倉さんは、取材のため施設に入り建物内部の写真を撮影しました。撮影を職員に咎められたので、職員の指示に従ってその場で写真データをすべて削除し、自主的に退去しました。

 

…正直、週刊誌などのスクープ取材では、もっと際どい、それこそ犯罪スレスレの手法で取材されたものなど、いくらでもあるのではないでしょうか? それらは、これまでどのように裁かれてきたのでしょうか?

 

意外にも、「取材・報道の自由」と「建造物侵入罪」との兼ね合いが法廷で争われる事件は、藤倉さんの事件が日本で初めてなのだそうです!

 

上述したように、建造物侵入罪の罰金に比べ、裁判にかかる費用と時間の方がとてつもなく高いので、マスメディア含むジャーナリストたちは、略式起訴で罪を認めてきたのだとか。それにしても、一件も判例がないとは驚きです!

 

藤倉さんは、この裁判は藤倉さんのみならず、全てのジャーナリストの「報道の自由」にかかわる問題だとして、引き続き裁判に注目してほしいと発言しました。今後の裁判の日程は、支援する会のホームページなどに掲載される予定です。私も注目したいと思います。

 

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以上が、先月5日、あかねで開催された「建造物侵入罪」に関するイベントのレポートです。私自身、市民として様々な市民運動に参加していますし、映画監督として日々取材も行っています。飯塚さん・藤倉さんの事件ともに、まったく他人事ではありません。

 

これまでは、取材時に「公務執行妨害」にされてしまわないよう警戒して、警察官などの体に触れないように気をつけていました(「転び公防」をされたら捕まりますが)。しかし、今回のイベントを通じて、「建造物侵入」も気をつけなければならない、危険な(権力側にとっては便利な)ツールであると痛感しました。

 

このブログ記事が、皆様の参考になれば幸いです。

 

※このブログ記事執筆に際し、飯塚早織さん、室伏良平さんのご協力を得ました。この場を借りてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。