成田さんは野球少年だった。高校時代も野球にうちこみ、卒業後の進路は野球ができて、思考思索にふけることができる大学を望んでいた。
しかし、残念ながら第一志望の大学に合格しなかった。滑り止めにほかの大学も受験し合格していたが、第一志望以外の大学に行きたくはなかった。
さてどうするかなぁ…と考えながら歩いていたところ、偶然、写真学校(東京写真専門学校)を見つける。それまで、進路として写真を考えたことはなかったが、鹿児島にいる母親に連絡し、「滑り止めの大学に受かったから、入学金を送って」とうそを言い、そのお金を写真学校に納付した。
こうして、成田さんと「写真」は出会ったのだった。
写真学校の同級生たちはみな優秀だった。第一志望の大学に入れなかったから…という自分とは違い、もともと写真をキャリアとして望んで入学しているのだから、当たり前だ。
写真についてなにも知らずに入学した成田さんは、同級生たちが「この写真は良い」「この写真はダメ」と判断する基準が、さっぱり理解できなかった。写真に良い、悪いがあるのか? ずっと違和感を感じていた。
ところが、先生方の説明も同級生と同じだった。ますます、わからなくなった。
そんな調子だから、写真学校での成田さんの成績はとても悪かった。同級生たちの「良い」といわれる写真を見て、理解はしないものの同じようにまねをすると、少し成績は上がった。
専門学校は2年間だったので、同級生たちは2年生の春ごろから就職活動を始めていた。卒業後の主な進路は、撮影スタジオ、カメラマンのアシスタント、もしくは一般企業への就職など。2年生の夏ごろには、ほとんどの同級生の進路が決まっていた。
一方、成田さんは…
いまだ、「写真」というものに答えを出せないでいた。光、フィルム、カメラ、そして社会(被写体)。先人が作ったカメラという道具を使って、何ができるか、どこまでできるか。
ずっとそのことを考えているし、いまも答えは出ていない。答えが出ないのだから、と、成田さんは現在まで「写真家」や「芸術家」を名乗ったことがない。
成田さんは2年生になっても就職活動をせず、就職のあてもなかった。
そんなとき、写真学校に写真家の細江英公さんが来て、講演をした。細江さんは当時すでに有名人だったが、成田さんは彼を知らなかった。
細江さんの顔を見て、講演を聞いて、成田さんは(あぁ、この人はひとりでやっていらっしゃる方だろうな)と思った。どこか心惹かれる部分があり、講演の後、細江さんに「弟子にしてください」と頼んだ。
だが、まったく相手にされなかった。その後も、細江さんになんどか弟子入りをお願いしたが、断られ続けた。
そのまま時が過ぎ、とうとう3月になってしまった。成田さんの進路はまだ決まらない。
3月の半ばごろ、細江さんから電話がかかってきた。舞踏家・土方巽を被写体とした写真集「鎌鼬」(かまいたち)の、出版記念の展覧会を手伝ってほしいという連絡だった。
成田さんは1週間、展覧会の手伝いをした。最終日、打ち上げの席で、細江さんから「これからどうするんだ? うちに来るのか?」と聞かれたので、成田さんは「明日から行きます!」と即答した。細江さんは「仕方ないなぁ」と承諾した。それは3月31日か4月1日のことだった!
そうして、翌日から、昭和を代表する写真家・細江英公さんのもとで修業生活が始まる…はずだった。
翌朝8時半、成田さんは細江さんのご自宅兼事務所へ伺った。意気込んでやってきた成田さんに、細江さんは申し訳なさそうに詫びた。
「成田君は1年間、外に出てくれないか?」
というのも、その年は成田さんのほかにもう一人、写大(現・東京工芸大学)を出たばかりのお弟子さんが入ることになっていたからだ。
弟子入りが1日でも早ければ、それはもう「先輩」だ。わずかな差で遅れて弟子入りした成田さんは、細江さんの指示で1年間、「四谷スタジオ」でアシスタントとして働くことになった。
「細江さんのもとで修業」という当初の目的とは違ったが、結果的に、その1年間の撮影スタジオでの仕事は、大いなる学びの機会となって、その後の成田さんを助けてくれた。
当時の撮影スタジオは、大御所のカメラマンたちが列をなして利用し、にぎわっていた。成田さんはアシスタントとして、照明の当て方、商品の並べ方、モデルさんの相手など、撮影にまつわるすべての工程を徹底的に叩き込まれた。
それはその後、スタジオ勤務から細江さんの元に戻り、細江さんの撮影アシスタントをする際に、「指示されたとおりにできる」技術となっていた。
例えば、「資生堂の化粧品の発色をそのまま再現できるように」といった指示や、「赤坂プリンスホテルで、有名人ばかりの集合写真を夜中に撮影する」(=照明にムラがあって顔が暗くなってしまう人が出ないようにする)等、難しいリクエストにも応えられる技術が身についていたのである!
1年間のスタジオ勤務を経て、いよいよ始まった細江さんのもとでの修業生活。その様子は次回に述べる。
※細江英公さんについては、ネットで検索すれば様々な記事を読むことができる。そのうちのひとつとして、以下のインタビュー記事を紹介する。
日本写真家協会 国際交流委員会企画・表現者たち vol.6
「写真家 細江英公 ~映像を越えた魂の世界~」
(つづく)