1973年、成田さんは銀座ニコンサロンでの展示を機に、細江英公さんのもとから独立した。
ニコンサロンの展示には「地球は廻る」というタイトルを付けた。写真に良い写真、悪い写真などあるのか? 写真を始めて以来ずっと抱いてきた想いを、展示タイトルに込めたのだった。
良い・悪いの選別をせず、撮ったものをすべて見せる。まだ20代の青年の、ある意味挑戦的ともいえる問いかけだった。
しかし、皮肉にも成田さんの展示は大評判となり、「素晴らしい」という評価を得てしまう。展示は様々な雑誌に取り上げられ、あの土門拳さんも新聞に書いた。
以来、撮影の仕事がひっきりなしに舞い込むようになり、兄弟子だった森山大道さんとともにそれらの仕事をこなした。後にも先にも、人生で一番稼いだ時期だった。
だが、求められ評価されるという状況に、成田さんは嫌気がさしてしまう。半年でフリーランスをやめ、以来今日まで「営業」は一切していない。また、キャリアの長さに反して、展示の回数も驚くほど少ない。展示する写真を「選別」されるのが嫌なのだという。
ただ、意に反した「売れっ子」時代で、得たものもあった。それは妻と家族だ。成田さんは専門学校時代に妻と知り合った。忙しい修業生活の間はほとんど会わなかったが、フリーランスになって再会した。
お互いに結婚を意識したころ、彼女の両親が興信所に依頼し、成田さんの身辺を調べた。調査した時期は、ちょうど成田さんの人生で一度きり、しかも半年だけ大儲けした時である! 両親は興信所からの結果を見て(成田君はかなり稼ぎのある男のようだ)と安心し、二人は結婚した。
結婚後1~2年ぐらいは妻に給料を渡していたが、フリーランスをやめたので、収入は「美学校」と「東京写真専門学校」のゼミ講師料だけ。どちらも1回3,000円という薄給だった。稼ぎが少ないのに、夫(成田さん)は毎晩自宅に生徒たち10~20人を連れてきて、彼らにご飯を食べさせる…。
やがて子どもも生まれ、妻は(これでは子どもたちを学校にも入れられない)と思ったのだろう、妻はフルタイムの仕事を始めた。以来、ずっと週5で働き、後期高齢者となった今も週3で働いている。
成田さんによれば、つい最近、妻は「あの頃は楽しかったわね」と言ったそうだが、ご本人に直接聞いたらまるで違う感想が出てくるだろう!!
…ここまで、成田さんのお話を聞きながら、う~ん、これは成田さんに限らず、写真業界に限らず、私も含め芸術を生業とする人たち全般に当てはまる話だよなぁ…と思った。今も昔も、収入の不安定さ・少なさ、パートナーを得られるか、パートナーからの理解があるか、子どもが生まれても続けられるか、老後はどうなるかetc、悩みは尽きない。
さらに話題は「年金」へと及んだ。成田さんは現在79歳なので、世間的には「年金生活者」と見られるだろう。
ひと昔前、「消えた年金問題」が社会を騒がせたのを覚えているだろうか? 2007年に発覚した、5,000万件超の公的年金保険料の納付記録が、基礎年金番号に統合されず、持ち主不明の「宙に浮いた年金記録」として社会保険庁(当時)で管理されていた問題だ。この問題により、本来受け取れるはずの年金が少ない、あるいは受給できない人が多数発生した。
このことが問題となった時、成田さんは自分の年金について気になり、役所に問い合わせた。その結果は「受給資格なし」。年金をほとんど納めていなかった成田さんの場合は、年金の記録が「消えた」のではなく、そもそも「無かった」のだった…!! ゆえに、成田さんは年金をもらえていない。
これも、芸術家やフリーランスあるある、ではないだろうか (> <)
次回は最終回、成田光房のこれからをつづる。
(つづく)