イギリスの平和活動家・Bunny Easton、Brian Hawが率いた国会議事堂前の平和運動を振り返る

昨年6月、このブログで、私の初監督作『ブライアンと仲間たち』に登場するおじいさん・バニー(Bunny Easton)が、88歳の今もなお、精力的にデモに参加しているということを書きました(その時のブログ記事はこちら)。

 

このブログを書いた後、私は久しぶりにバニーに手紙を書きました。バニーからも返事が届き、以来、時々お互いの近況を報告し合うようになりました。

 

先月、バニーからのクリスマスカードに、とあるニュースレターのコピーが同封されていました。それは、David Poldenさんが1985年から発行を続ける、「Non-Violent Resistance Network」(非暴力による抵抗のネットワーク)というニュースレターでした。

 

ニュースレターでは、バニーが、ブライアンの国会議事堂前での平和活動を振り返るエッセーを寄稿していました。バニーが書いた文章を目にするのは、おそらく私は初めてのことです。バニーにとって、ブライアンの活動はどんなものだったのか。ブライアンを取り巻く人々:サポーター、キリスト教会、公権力…の在り方はどうだったのか。

 

ニュースレター発行人のDavidさんに許可をもらい、以下に記事をご紹介します。

 

(スマホ等の画面拡大で、画像は拡大できます)

 

 

以下に、記事の大まかな内容を記します。

 

タイトル:「ブライアン・ホウのパーラメント・スクエア平和運動」
執筆者:Bunny Easton(パーラメント・スクエア平和運動の参加者)

 

記事によると、バニーはパーラメント・スクエアの平和活動について、以前から自分の結論を書きたいと思っていたそうです。平和活動に参加していた人たちから見れば、自分の意見に必ずしも同意できない部分もあるかもしれないけれど、それでもなお、彼は現在の状況と合わせて、パーラメント・スクエアの平和活動について書くべきだと感じています。

 

9年3か月という非常に長い間、ブライアンは国会議事堂の下院の向かい側で、平和活動を続けてきました。その後さらに、政府によって抗議活動が不可能にされるまでの2年3か月間、Barbara Tucker(愛称:Babs)が座り込みを継続しました。

 

バニーは、ブライアンたちの平和活動にとって、明らかな失敗はキリスト教会だったと考えています(ブライアンを熱心に支援したクェーカ―教徒たちを除く)。国会周辺には、ウェストミンスター寺院、ウェストミンスター大聖堂、セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(英国国教会のひとつ)など、様々なキリスト教の建物がそびえたっていますが、熱心なキリスト教徒でもあるブライアンに対して、彼らは何ら支援をしませんでした。

 

ブライアンの早すぎる死は、これら教会の無支援・無視にも大きな原因があり、そもそもイギリスにおいてキリスト教会は体制側の一部であり、権力と一体となって民衆を抑圧する存在だ、とバニーは指摘しています。

 

また、パーラメント・スクエアの平和活動を通じてバニーが学んだことは、この国の権力や体制といったものは、「民主主義を装っている」、ということでした。「法の範囲内での平和活動を認める」という、よく使われるこのフレーズは、一見民主的であるように見えて、実際には、政府にとって好ましくない平和的な抗議活動を、「法」を盾に取り締まり、押しつぶすのです。パーラメント・スクエアの平和活動がまさにそうでした。

 

2005年、当時のブレア政権は、ブライアンたちの抗議活動に対し、ディスプレイのサイズを制限する法律を作りました。続いて、2011年のキャメロン政権では、Police and Social Responsibility Actという法律を新たに制定しました。この法律によって、パーラメント・スクエアにテントや寝袋を持ち込むことが禁じられ、結果的に24時間体制の抗議活動の継続が不可能となってしまいました。

 

仮眠用のテントや寝袋を持ち込めなくなった後も、バーバラや数人のサポーターが、パーラメント・スクエアで夜通しの抗議活動を続けていました。夜、彼女たちは大きなパラソルの下で眠りました。新法では、大きな傘までは持ち込みを禁止されていなかったからです!!

 

しかし、横たわることを許されず、傘をさして椅子に座って寝るという、過酷な生活を続けたせいで、バーバラの足と腰には深刻な健康被害が生じてしまいました。結局、2013年2月に、バーバラはそれ以上抗議活動を続けられなくなり、パーラメント・スクエアを去ったのです。

 

最後に、「権力というものは、どんな手段を使ってでも、潰したいものを潰す」と書いて、バニーはこの記事を締めくくっています。

 

読み終えて、バニーは、ブライアンが結局は教会も含む権力によって殺された(早死にした)ということを、ずっと伝えたかったのだろうな…と感じました。

 

(余談ですが、私がロンドンに住み、ブライアンたちの活動を撮影していた際、次のようなエピソードがありました。テント生活のため、ブライアンは車のバッテリーを、携帯電話やノートパソコンの電源としていました。普段、バッテリーをフル充電状態にして届けてくれるサポーターの方が来ない日があり、ブライアンは近くの教会へ、「携帯電話を充電させてほしい」とお願いに行きました。ブライアンは、国会議事堂前のテントをめぐり政府と裁判をしていたので、弁護士としょっちゅう連絡を取る必要があったからです。しかし教会は、教会のカフェテリアにあるコンセントを「安全のため(火災防止のため)」として、ブライアンに使わせませんでした。ブライアンは「安全のためだって? 私はイラクやアフガニスタンの子供たちが殺されないようにと、活動しているんですよ?」と反論しましたが、やはり使わせてもらうことは叶いませんでした。)

 

今年88歳になるバニーは、ここ数年、毎週金曜日にピカデリーの日本大使館前で行われている、反核の抗議活動にほぼ毎週参加しているそうです。日本の状況にも関心を持ち続けてもらって、ありがたいなあ…と思います。

 

(ちなみに、私がブライアンの死後、2012年に書いた追悼記事はこちらです。映画の完成後のパーラメント・スクエアがどうだったのか、バニーとはまた違う視点で書いています。興味のある方はこちらもご覧ください。)

 

「Non-Violent Resistance Network」ニュースレターの、その他のページも以下に掲載します。

 

 

 

 

 

4ページ目の中で使われている写真の中に、ブライアンの元サポーターで、私の映画の中にも登場するEricの姿を見つけました!! 白いTシャツを着て手をつないでいる人たちの中で、向かって左から2番目の男性です! 何と彼は、今年92歳になります!! 90歳を過ぎて抗議活動に参加し続けているだけでなく、つい先日は抗議活動の最中に逮捕もされたそうです…! (彼は、『ブライアンと仲間たち』の中で、パーラメント・スクエアに雪が降った日に、「北海道の札幌みたいでしょう?」と話しかけてくる人です)

 

80代、いや90代でも精力的に活動を続ける彼らの姿を見て、私も頑張らなくちゃ~~と思う、やや遅めの「今年の抱負」でした(^^)/