写真でふり返る、「シャチホコ映画祭2018」(2日目)♪

前回のブログで、映画祭の前日に名古屋入りした様子をお伝えしましたが、今日はいよいよ、「シャチホコ映画祭」当日の様子をレポートします!

 

映画祭は午後スタートだったので、朝はゆっくり起きることができました。前日の夜ご飯は、岡島さん宅でいただきましたが、この日の朝食は、文字通り「お隣さん」の兼松さんのお宅へ。

 

兼松さんのおうちもまた、自分たちでフルリフォームした、モデルルームのような内装です!

 

自然光がたっぷり入る、明るい室内。ま新しい調度品ばかりではなく、昔ながらの家具・キッチン道具も現役。

 

 

朝ごはん!

 

 

お友だちが試作したというパンがとても美味しくて(コーヒー豆など様々な食材から発酵種を作っているそう!)、遠慮せず食べていたら、「出せば食べるから気持ちがいい」と言われてしまいました(^^;)。朝から中学生男子のような食欲のわたし。。。

 

朝ご飯を頂いた後、岡島さんと一緒に、映画祭の会場に向かいました。前日に会場の設営などを終わらせたとはいえ、当日は当日で、受付や物販の準備など、やることはまだまだたくさんあります。

 

お客さんとして参加したはずの岡島さんは、チラシの折込作業を!

 

 

私は、会場の後方で物販の準備を。(ちなみに、私の物販の隣に陳列されているのは、南相馬市・菜の花プロジェクトの「油菜(ゆな)ちゃん」です!)

 

 

私は、先日のシビル映像作品発表会に続きシャチホコ映画祭でも、自家採種した在来種野菜のタネを、興味のある人たちに持って帰ってほしいと持参しました!

 

 

各野菜の栽培方法のメモも一緒に。

 

 

DVDと一緒に在来野菜の種が並ぶって、良い光景だなぁ~(^^)

 

 

開場時刻が近づき、来場ゲストの方々も到着し始めました。「シャチホコ映画祭」は、すべての上映作品にゲストトークがある、なにげに豪華な映画祭なのです(^^)♪ 初対面のゲストの方も何人かいましたが、映画を事前に観ていると、既に映像の中で対面を果たした気分になるので不思議です。

 

いよいよ映画祭の開幕!

 

 

井上さんは司会進行、そしてゲストトークの相手役と、ずっと出番が続く状態でした。当日の私の役目は、受付、各ゲストトークの撮影、そして私だけ上映時間が長いので、私のトークは手短にひとりで行うことになっていました。

 

 

最初の上映作品は、堀切さとみ監督の『原発の町を追われて3 双葉町 ある牛飼いの記録』。タイトルに「3」とあるとおり、シリーズの第3部です。作品に込めたメッセージを、監督のホームページより引用・紹介します。

 

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埼玉県にある旧騎西高校に避難してきた、福島県双葉町の人々を追い続けて早6年。

 

三年前に騎西高校は閉鎖しましたが、双葉町は依然帰還困難区域。

 

そればかりか中間貯蔵施設の建設が予定されていて、帰れるどころではありません。

 

「埼玉は第二の故郷だ」といって残り続ける人、「双葉に少しでも近いところがいい」と福島に移る人、さまざまですが、ふるさとの我が家ではない場所で今までと違った生活を余儀なくされていることは同じ。

 

放射能による被ばくへの不安というだけが問題ではないのです。

 

今回の映画は、騎西高校の近くで農業を営んでいる鵜沼久江さんを中心につくりました。

 

久江さんは福島第一原発のすぐ近くで、50頭の牛を飼っていましたが、牛たちをつれて避難することはできず、かわりに野菜作りを始めました。

 

殺処分に反対し、警戒区域の中で牛を飼い続ける「希望の牧場」の吉沢正巳など、素晴らしい牛飼いもいますが、ほとんどの牛飼いたちは涙をのんで牛たちを手放さざるをえなかった。

 

久江さんもその一人です。

 

久江さんは、一作目、二作目に出てくれた鵜沼友恵さんのお母さんです。

 

私は友恵さんに「映画を作るからには、一時の流行事で終わらせないで。私たち避難民がどうやって生活を取り戻していくのかを記録し続けて」と言われました。それで、久江さんにカメラを向け始めたのです。

 

双葉町のことがメディアに取り上げられることは、ほとんどなくなりましたが、避難先で必死になって生き直しをしている人たちがいることを知ってほしい。

 

ぜひ観に来てください。

 

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第3部の主人公である鵜沼久江さんについて、東京新聞の記事はこちら

 

堀切さんは、2014年のレイバーフェスタで、鵜沼さんを『牛飼いの4度目の冬』と題した3分ビデオで取り上げました。作品は以下よりご覧いただけます。

 

 

3分という短い映像の中でも、『原発の町を追われて3』本編同様、(自分が避難する前に、なぜ牛たちを放して来なかったのか。そうすれば、救える命があったのに)と悔やむ様子や、「どうせ賠償金もらったんでしょ?(だったら文句を言うな)」と言われる悔しさ、避難先で慣れない野菜作りに取り組む困難さ・・・などが伝わってきます。

 

上映後、堀切さとみ監督と鵜沼久江さんが登壇し、現在の状況や、福島からは(距離的にも心理的にも)遠い、名古屋の人たちへのメッセージなどを話されました。

 

 

向かって左側が、監督の堀切さとみさん。

 

 

映画の中同様、悔しさ・無念さを秘めながらも、穏やかな語り口の鵜沼さん。

 

 

15分ほどの休憩のあとは、いよいよ『インド日記』の上映です!

 

前日、会場備え付けのDVDプレーヤーで、読込・再生されることは確認していましたが、映画祭当日、しばらくたってから再生の引っ掛かりが起こりました。

 

1~2回程度の引っかかりならば目をつぶることも出来ますが、途中から引っかかりの回数が多くなり、急きょ再生を停止。予備として井上さんが用意してくれていたMac Bookに、外付けのDVDプレーヤーを繋いで上映する方式に切り替えました。

 

こちらは大丈夫そう・・・

 

 

(最後まで無事再生されますように!)と祈りつつ、画面を見守ります。

 

・・・と、残りあと10分ほどに差し掛かるところで、またも再生に引っ掛かりが発生・・・!

 

うわーーー

 

私は今回、DVDディスクの他、予備としてデータ形式のファイルを、USBメモリーに入れて持参していました。DVDがダメな場合は、USBメモリーをPCに差し込んでの上映に切り替えればよいのです。

 

USBを差し込んだら、なんと「USBメモリーをフォーマットしてください」というメッセージが表示されるではありませんか!

 

フォーマットをするということは、USBメモリー内のデータが全て消えるということです(> <)!

 

昨日の再生チェック時には、DVDの冒頭の再生のみチェックして、「USBメモリーが井上さんのノートパソコンで読み込まれるかどうか」というチェックまではしていませんでした。

 

ううう。

 

事前の、通しでの再生確認が出来ない場合は、一番の安全策は自分のノートパソコンも持参しておくことですが(私のノートパソコンは、会場のプロジェクターの形式に合わせて、VGA端子(従来のMini D-sub 15ピン)とHDMI接続の、2通りの接続方法に対応しています)、今回は、二泊旅行+撮影機材だけでかなりの荷物だったので、ノートパソコンまでは持ってこなかったのです。

 

会場備え付けのDVDプレーヤー、井上さんのパソコン2台(MacとWindows)があれば、さすがに大丈夫かなと思っていたのですが、でも、前日の再生確認の際に、DVDの再生だけでなく、DVDがダメな場合に備えて、USBメモリーの読込が出来るか(+あらかじめ井上さんのノートパソコン内にファイルを移行しておくのがのぞましい)の確認もしておくべきだったのでした。

 

「万が一」のさらに「万が一」という事態にまで備えないといけないのだ、ということを痛感しました。

 

・・・とはいえ、今更後悔しても遅く、お客さんたちが(どうなるのか?)と思いながら固まっている中、私は最終手段として、販売用に持参したDVD(3時間半のオリジナル版)から、最後のチャプターを再生することにしました。

 

上映用の短縮版では残り10分ほどでしたが、オリジナル版を再生したため、上映時間がさらに16分延びててしまいました(> <)!!

 

もともと私ひとり、作品の上映時間が長すぎる状態だったのに、2度の再生停止とオリジナル版の上映で、上映終了時刻が大幅に遅くなってしまいました、すみません(> <)!

 

いやぁ、それにしても、オリジナル版のDVDが最後まで無事再生されるのを見届けた時は、私も、会場にいた人たちも、映画の内容がどうだったかよりも、「再生されて良かった!」という気持ちだったのではないでしょうか(^^;)?

 

上映のあとは予定通り、お一人さまトークを15分ほどさせていただきました。さすがにトークの持ち時間は厳守しなきゃと思い、いつもよりだいぶ早口になっていたかもしれません(^^;)。以下は、写真家の小西修さんが撮影してくれた写真です。

 

 

無事、上映&トークを終え、休憩時間では、DVDだけでなく、野菜の種ももらってくださる方が多く、とてもうれしかったです!!

 

休憩のあとは、『映像とトークで伝える 多摩川ねこ物語』。

 

 

井上さん曰く、「前日の打ち合わせの時の方が面白かった」そうですが、お2人とも外見とは裏腹(?)に、表舞台より裏方が好きなタイプで、やや緊張しているように見えました。しかし、時間がたつにつれ、緊張がほぐれ、内容の濃いお話を聞くことが出来ました。

 

 

小西さんの講演が終わり、いよいよ最後のプログラム、河野洋(かわの・よう)監督作品『ヒューマンエラー 安全を信じていた。しかし・・・』の上映とゲストトークです。

 

私は、原発事故に関する作品は、それなりに関心を持ってチェックしているので、観たことはなくても「タイトルは知っている」という映画は多いです。ですが、恥ずかしながら、こちらの作品はこれまでに聞いたことがありませんでした。

 

井上さんに聞くと、アメリカ在住の日本人監督による作品で、日本では東京電力の福島復興本社と大学で上映されたぐらい、とのこと。

 

・・・なるほど、それだけ露出が少なければ、さすがに私も知りようがありませんでしたが、「東電で上映」というのは、ある意味、映画館で上映されるよりもハードルが高いようにも思えます。

 

映画では、(当時の)現役東電幹部のインタビューもあるとのことで、ますますこの作品に興味を持ちました。

 

映画のあらすじ:

 

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日本政府は「福島はすべてコントロールのもとにある」と言っているが、果たして本当なのだろうか。
原発事故により15万人を避難させる決定が下された 2011年3月12日より7年が経過した。この映画はあの惨事に日常生活を壊された人々、東京電力の幹部、宮司、旅館女将、酪農家、地元町長、86歳の避難者を追ったものである。

 

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予告編映像

 

 

映画のホームページ(英語のみ)はこちら

 

監督の河野さんは、アメリカ・カリフォルニア州在住のため、映画祭には来場できませんでした。代わりに、この映画の制作に撮影・運転などで参加された、新潟大学歯学部の天谷吉宏准教授が映画祭に来てくださいました!

 

 

制作時のエピソードを話す、天谷先生(向かって左)。

 

 

『ヒューマンエラー』、もっと日本で上映されれば良いのになぁ!

 

・・・とは言え、英語表記だけの作品ホームページ、上映申し込みについて何も記載がないなど、(どういった経緯で作られた映画なのだろう??)と、謎に思う部分もありました。

 

この映画が作られた経緯や、監督と新潟大学との関わりについて、天谷先生にメールで後日質問をしたところ、その回答とともに、新潟大学の「チーム毘沙門(BISHAMON)」についても教えていただきました。

 

恥ずかしながら、私はこれまで「チーム毘沙門」について知らなかったのですが、天谷先生に送っていただいた書籍により、震災直後から続けられてきた活動の一端を知ることが出来ました。

 

BISHAMONの軌跡 南相馬・浪江レポート」(著者:内藤眞、発行:2013年、新潟日報事業社)と、「BISHAMONの軌跡 – II ~福島支援5年間の記録」(著者:内藤眞、青木萩子、野中昌法、発行:2016年、新潟日報事業社)。

 

 

GPSと連動した放射線量率測定器の開発をした、新潟大学のアイソトープ総合センターの後藤淳先生はじめ、同センター利用者の有志などが参加した「チーム毘沙門」は、 2011年の9月から、南相馬市通学路および学校敷地の放射線量率を測定していました。

 

後藤先生が開発した自動線量計は、「BISHAMON(BIo-Safety Hybrid Automatic MOnitor Niigata)」と名づけられました。これは、放射線測定器、GPS、データ処理装置とパソコンを組み合わせて、リアルタイムに放射線量を検出できる装置です。

 

BISHAMONを用いた測定結果をもとに、どこにどれだけの線量があるのかが一目で分かるマップを作成。マップは、南相馬市のホームページでも公開され、誰でも閲覧することが可能です(⇒こちら)。南相馬市に続き、浪江町、楢葉町などでも測定し、行政や市民の除染計画や復興計画に役立てられてきました。

 

BISHAMONの測定結果を、GIS(地理情報システム)を用いて、利用者にとってさらに便利なWeb-Mapにしようとした際、全面的に開発協力をしたのが、UCLAのGIS専門家であり、『ヒューマンエラー』の監督でもある、河野洋さんだったのです。(「チーム毘沙門」メンバーの、新潟大学・菖蒲川由郷先生(専門は医療・公衆衛生)が、アメリカ留学中にGISのシンポジウムで河野さんと知り合ったのがきっかけだったそう)。

 

新潟大学とUCLAにより開発されたWeb-Map「Bishamon Radiation Project」は、こちらよりご覧いただけます。

 

2012年7月、来日した河野さんは、「チーム毘沙門」メンバーと共に、初めて被災地を訪問。楢葉町、浪江町、南相馬市、飯館村などを訪れました。天谷先生によれば、その当時も河野さんは撮影をしていましたが、本格的に映画にするつもりはなかったようだ、とのことでした。

 

その後、河野さんは何度か被災地を訪れ、2016年、本格的に大学院で映画の作り方を勉強しながら被災地の映画を作ろうと決心し、年に2~3回福島を訪れて、『ヒューマンエラー』を制作したそうです。

 

本格的にインタビューを始めてからは、「チーム毘沙門」の放射線測定とスケジュールをあわせるのは困難になったため、天谷先生が河野さんの取材に同行し、運転や撮影などを手伝われたそうです。

 

・・・以上が、映画『ヒューマンエラー』誕生のいきさつなのですが、それにしても、河野さんが(映画にしよう)と決心した後に、大学院で映画の作り方を学び始める・・・というのにびっくり!(私は、ジャーナリズムは留学して学んだものの、映像制作についてはいまだに教育を受けたことがありません^^;)

 

私は常々、作品には作者の人柄がにじみ出る(良くも悪くも/意識的&無意識的にも)と思っているのですが、なるほどこの映画を通して伝わってくる監督の誠実さは、映像を学んで伝えたいという監督の姿勢にも現れているのだな・・・と感じました。

 

前述したように、『ヒューマンエラー』のホームページは英語のみで、上映会申込の案内なども掲載されていないのですが、河野さんは日本語も大丈夫だそうなので、上映会開催に興味のある方は、UCLAの河野さんのページ(こちら)にあるメールアドレス宛に、問い合わせてみたら良いかもしれません!!

 

ところで、順番が前後してしまいましたが、天谷先生の挨拶の前には、『ヒューマンエラー』上映後のゲストトークとして、「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」理事の、河田昌東さんが講演されました。

 

当日の、河田さんの講演と質疑応答(約25分)を撮影した動画は、以下よりご覧いただけます。

 

 

質疑応答では、鵜沼久江さんも質問。

 

 

私の再生トラブルもあったものの(というか、トラブルはそれぐらい^^;)、無事、予定していた全てのプログラムが終了しました!

 

映画祭のあとは、ゲストと来場された方々を交えての打ち上げ。

 

 

あっという間の、とても楽しい時間でした(^^)

 

映画祭終了後、シャチホコ映画祭のFacebookに投稿された、主催者代表・井上めぐみさんからのメッセージを、最後に紹介します。

 

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シャチホコ映画祭 2018

 

涙あり
出会いあり
再生トラブルあり
笑いあり
そんな6時間、心地いいあったかい空間の中で終了しました。

 

東北から関西まで!会場に足を運んでくださいました皆さま、ゲストの皆さま、会場スタッフの皆さま、告知全面協力していただいた皆さま、ありがとうございました。

 

初めての試み、至らない点が多々あり、みなさまにはご迷惑をおかけしました。
アップデート・・・そう、次回開催できるようスムーズにアップデートしていく次第です。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

ラスト、ゲストスピーカーの皆さんをパチリしました。

 

心より感謝を申し上げます!!

 

2018年11月12日 シャチホコ映画祭 実行委員会

 

 

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以上が、映画祭当日・名古屋滞在2日目のレポートです。映画祭にご来場くださった方々、本当にどうもありがとうございました!

 

最終日(3日目)のレポートはまた後日に(^^)♪

 

<<追記>>

 

1日目の記事はこちら
3日目(最終日)の記事はこちら