【ドキュメンタリーを考える #7】りべるたん「包丁おじさん」画像削除:オルタナティブ界隈における、クリエイティブ・コモンズについて考える

先日(7月21日)の、「ドキュメンタリーを考える」シリーズ#6のコラムで、私は以下のように書きました。(記事全文はこちらよりご覧いただけます)。

 

”りべるたんの面々に対して不思議に思うのは、これだけ、無署名のビラの著作権や、肖像権&プライバシー侵害などと主張しておきながら、自らはTwitterのヘッダー写真に、りべるたんのメンバーでもない、許可も取っていないはずの「包丁おじさん」の写真を、でかでかと載せるという感覚。”

 

以下は、その文章と共に掲載した、りべるたんTwitterアカウントのヘッダーのスクショ画像です。

 

 

私の上記ブログ記事投稿後、りべるたんのTwitterアカウントから、「包丁おじさん」画像は削除され、現在まで、りべるたんアカウントのヘッダー部分には、何も掲載されていない状態となっています。

 

 

このりべるたんのヘッダー画像削除を見て、私は何とも言えない微妙な気持ちになりました。具体的には、(りべるたんは、自分で自分の首を絞めているなぁ)と感じたのです。

 

これまで、りべるたんのホームページやTwitterなどで、この「包丁おじさん」の画像は、幾度となく使われてきました。りべるたんが、まだ神楽坂にあったころ、「騒音がうるさい」と包丁を持って乗り込んできた男性の写真です。(りべるたんの神楽坂時代や、この包丁おじさんのエピソードは、山口祐二郎さんのコラムに詳しく書いてあります^^)。

 

私自身は、包丁おじさんの画像をこれまで使用したことはありませんが、りべるたん内においては長らく、暗黙の了解のような形で、この画像が何度も使われてきました。被写体の方に撮影許可を取ったか(肖像権)、また、この写真を撮影した人の使用許可を取ったか(著作権)というものは、これまで私が知る限り、問題にされたことがありませんでした(その是非はここでは割愛します)。

 

りべるたん内に貼られているビラなどと同様、ある種の、共同体内での「クリエイティブ・コモンズ」的な考え方が、共有されていたのではないかと思います。

 

りべるたんにとっては、この包丁おじさんや公安警察のガサ入れなどは、他のシェア・スペースやオルタナティブ・スペースとの「差別化」としてアピールできる「物騒な要素」として、ある種誇らしげに語られてきた部分があるかと思います。そして、その宣伝も兼ねて(?)、これらの画像はりべるたんのメンバーたちにより、自由に使われ、共有されてきました。

 

りべるたん内に貼られている大量のビラも、りべるたんのアジトっぽさ、学生運動っぽさ、アングラ感などが伝わりますので、それらもこれまでに多数の人々によって撮影され、ネット上に公開されてきました。それらの写真は、今でもインターネット上で閲覧することができますが、これまで問題となったとは、私がりべるたんに関わった2014年8月以降、私がAさんに突然攻撃される日まで、聞いたことがありませんでした。

 

しかし今回、Aさん及びりべるたんは、私がりべるたんの共有スペース部分に貼られた無署名のビラを写真に撮り、SNS上にアップしたり、年賀状に使用したことを、りべるたん出禁&りべるたん内の撮影一切禁止&映画の公開禁止などという処分によって糾弾しました。

 

そうすると今度は、Aさんやりべるたん自身が、肖像権や著作権を侵害していないかを厳しく問われることになります。

 

りべるたんが、Twitterのヘッダーから「包丁おじさん」画像を自ら削除したのが、その良い例です。長年、共同体内でクリエイティブ・コモンズ的に利用されてきた画像も、今後はうかつには使用できなくなるでしょう。

 

そしてAさん自身も、自らの姿勢を問われるでしょう。私に、りべるたん内の無署名のビラについて、法的措置を取るとして脅すAさんですが、そもそもまず、AさんのTwitterのアイコン画像自体が、明確な著作権侵害ですから(> <)

 

 

この「ドラえもん」画像は、Aさんのツイートによると、2017年6月2日から使用しているそうです。ですので、既に1年以上、著作権侵害の状態が継続していることになります(> <)

 

 

また、漫画のページもツイートしているようです。こちらも、作者と出版社に許可を取っていなければ、著作権侵害となってしまいますね(> <)

 

 

…と、AさんのTwitterタイムラインを少し覗いてみるだけで、もういくつもの「著作権侵害」を見つけることができます(> <)。

 

しかし、私は前回のコラムで、「包丁おじさん」の画像について、「私はこの写真に対してとやかく言いませんが…」と書いたように、りべるたんに対しても、Aさんに対しても、「削除すべきだ!」とは言ったことがありません。

 

また、Aさんが私に対して行った、以下の名誉棄損ツイートに関しても、その削除を求めたことはありません。

 

 

削除を求めるどころか、むしろ、問題となっているブログ記事内で、以下のように書いています。

 

”でも、私はこの實重さんのツイートについて、實重さんに削除を求めたり、謝罪を求めたりする予定はありません。こういった問題に多くの人が関心を持ち、議論するきっかけとなってほしいと考えるので、實重さんのツイートも、私のこのブログ記事も、生きた「考える材料」として、ネット上にあり続けた方が良いと考えます。”

 

これらすべて、「他人の表現を禁止・制限すれば、それはまわりまわって自分の表現の自由を奪うことになる、自分の首を絞めることになる」、と考えるからです。

 

だからといって、他人から著作権侵害をされても黙ってろ、ということを言いたいのではありません。ただ、他人の表現を禁止したり、制限したり、ましては法的措置を取るなどと攻撃すれば、自らの表現行為について、さらに厳しく問われることになりますよ、ということを言いたいだけです。

 

Aさんがしているような、(自作でない)アニメをアイコン画像として使う行為や、漫画の1コマや1ページをツイートの画像として使う行為は、Twitter上で(厳密には著作権侵害であるものの)無数に行われています。皆がやっているから良い、沢山行われているから問題ない…とは言えませんが、もう、Aさんやりべるたんは、これまでのように無邪気には、こういった行為は出来なくなるでしょう。

 

オルタナティブ・スペースなどの共同体で、著作物や写真などが長年どのように扱われてきたか、そしてどのように扱うべきか、共同体の理念に沿うならば基準を緩く解釈するか、それとも厳格に適用するかなど、これまでは各共同体でなかなか話し合う機会がなかったかもしれません。しかし今後は、私に起こったような事件を機に、改めて話し合ってみる必要があるのではないかと考えます。

 

その際には、くれぐれも、「相手の首を絞めれば、自分の首を絞めることになる」というのをお忘れなく!!

 

以上、【ドキュメンタリーを考える #7】りべるたん「包丁おじさん」画像削除:オルタナティブ界隈におけるクリエイティブ・コモンズについて考える、でした♪